天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

英霊 御母との約束1

この記事は一番最初に「神社庁への手紙」というタイトルで載せたものを一部改編して再録したものです。
私はこの頃自分の身に起きた事が何なのかもよく分からずにいましたが、その鬱屈した感情が抑えられずとにかく話しを聞いてもらいたい一念でこの文章を書いていました。
とても長文になりますが、私がブログをやる上で外せない記事ですので、興味がある方はお目通し願えると嬉しいです。

因みに、実際にこの文章を神社庁にメールはしましたが匿名で送ったので何も返信や反応などはありませんでした。当たり前かもしれませんね。

神社庁への手紙〜其の一」

はじめまして、私こちらの神社庁があることをネットで色々調べまして、私の個人的な話しなのですが今、本当に自分の事で悩んでおりまして、ご相談させて頂きたくメールを致しました。

メールでは話しづらい事も色々ありますが最後までお目通し頂けますと幸いです。

実は、私は小さい頃から巫女体質でして、自分以外には見えない者や聞こえない声を聞いたりしていたのですが、それが神様なんです。天照大神や他の神々、登場人物です。宇宙人が、なんて冗談か作り話、精神病的な妄想、幻聴、幻覚と笑われるかも知れませんが、真実をお聞き願いたいのです。

私は昭和51年生まれ、現在41歳(当時)になる女性で未婚です。家庭はごく普通の一般家庭で現在は高齢の両親と同居しております。私は小さい頃から斎王祭のそれは見事な平安装束のお姫様のような女性が見えまして、その方が天照大神なのです。このように、神社庁なる所を探してこのようなメールを送ることになるまで、40年以上かかりました。しかし、他にまともに話しを聞いてもらえそうな場所が現代の日本社会には無いのです。私は現在、統合失調症の診断で県立の精神科医療センターに13年程通院している精神障害者になってしまいました。40年以上の人生、自分でも長い間混乱して自分自身を信じることが出来ずここまで来てしまったのです。あまつさえ天照大神が私の身に降りて「妾は神じゃ」とか「二度とあってはならぬ」とか「妾は愛しているのだよ」とか街中で仰せになり、戦争の事で泣き叫んでそのまま救急車で精神病院に担ぎこまれてから、自分が神だとか姫巫女だとか天照大神だとか、あり得ない‼と思って自分で自分に起きた事を一切否定し、10年以上をそのまま過ごしました。医師の脳内物質ドパミンの受容が異常とされる統合失調症との診断を鵜呑みにしてしまったのです。しかし、今となっては私の身に起きた事は巫女的な巫術に分類されるシャーマニズムであり、日本の現代社会の一般常識に当てはまらない位置にある事象だと認めざるを得ないのです。
科学が正しいとされる現代医学の側面からは統合失調症ですが、それでは片付かないのです。救いを求める気持ちでメールを打ちました。長文になりますが、どうぞご一読下さい。
私にはかなり幼い頃から、姫御子たるエピソード、記憶がありますが、社会的常識からかけ離れた話しですので、両親、家族にもこのようなメールをこちら様に送っている事は一切申しておりません。もう誰にも今更こんな話しはする事が出来ません。

私がなんの為に此方にこんなメールをしたのか、話しが長くなります。

まず、何よりも、神社庁なる場にてこのメールをお読みになる方に嘘偽りなく私の身に起きた事をお伝えしたいと思います。私は、この身に姫様が現れると、精神病院に入れられますが、そうではなく、誰かに信じて頂きたいのです。そして、この身に起きた戦争の真実を後の世に書き残さなくてはいけないと思っているのです。

姫様(と、私は呼んでいます。)は、核投下によって終結した先の大戦、誠にむごく、核のみならず人類史上に於いてあり得ない大量殺戮、取り返しのつかない事態をこの日本国に於いて引き起こし、因果、宿命であったとはいえ、深い無念によって成仏なし得なかった幾多の英霊たちの願いによって高天原より天孫降臨されたようです。これは私の人生の過去のごく一部の話しになります。
いつもと何も変わらない穏やかな一日、私が小学校の帰り道に姫様に導かれ、英霊たちと立ち会ったのは7~8歳の頃でした。「まだよくお分かりになっていないのでは?」と誰かが言い、姫様は「大丈夫じゃ、もう全て見ているのだから」と囁かれました。近道の空き地で、沢山のユーレイが私を取り囲んでいた。姫様はまずここで跪き(ひざまずき)なさいと仰せになり、私はしぶしぶと一人でその場に跪きました。これを他人が見たら変なんじゃないかなあ、「なんで、私が」というのが素直な気持ちでした。「ここにいるのは、お国の為に身を犠牲にした英霊達なのじゃ。ひめみこ、跪くがよい」と仰せになりました。すると身体が石のように動かなくなり、口もきけず、膝に空き地の小石が当たって痛くて『身体が、動かない』と驚いたまましばらくそうしていました。長い時間に感じて頭にきそうになっているとその金縛りが解けて姫様の傍らにいたモンペ姿の女性が、私にこう言いました。「もはや、天照様にお願いするほかなかったのです。」と。陽炎のように何だかオレンジ色がかって見えました。多分ここに誰か来ても肉眼では見えないだろう。そう思いましたがあまり怖くはありませんでした。姫様はお美しくて優しそうだったし、女の人もわずかに微笑んでいたからです。そして私も幽霊に対してまだあまり先入観がなかったのです。空き地には防空頭巾にモンペ姿の女性たちが複数いて、姫様は、我が子をこの世に残して焼け死んだ母たちだと私に言ったと思います。そして忘れられないのは特攻で戦死を遂げた何人かの少年たちです。まだ10歳にも満たないような幼い男の子もいました。「やめてー!!この子はまだ小さすぎます」と女性の悲痛な叫びも聞こえました。他にもぞろぞろという感じで空から降りてくるように集まっていたように思います。軍服を着た男の人もいました。どんどん増えていくのでさすがにぞっとしてあまりそちらは見ないように、気に留めないようにしました。モンペ姿の母たちは集まって今度は私と姫様に跪き、少年たちは背の順に並んで軍靴をカチッと合わせて敬礼し、自分の所属部隊と氏名を述べました。
「やめて、やめて、今時敬礼なんかしないで」と私は思いましたが、一番大きな、15歳くらいの少年が「自分は…(所属部隊、階級、氏名、中略)であります‼」と敬礼して緊張した表情で妾を見ました。私は、幽霊って足があるし生きてる姿と変わらないんだなと、妙に納得してその姿を見つめていました。そして敬礼というものを初めて見たので、あっけにとられていたのです。神風特攻隊って、飛行機でアメリカの戦艦にぶつかっていった、あの?私は心の中でずっと不思議に思っていた事を聞いてみました。「なんで、あんなことしたの?」なんの意味があったのかなあ、と。素直な疑問だったのです。軍服と軍帽、軍靴の少年は、背筋をピンと伸ばして敬礼し、はっきりした声で真っ直ぐにこう答えました。「自分は今の、この平和な世に来たかったのであります‼だからやったのであります‼」と、その答えになんの疑念も雑念も感じられませんでした。本当にただその思いだけだったんだ。私はポカンとして何も言えませんでした。しかしだからこの、今の自分の平和な生活がある事をその時に知ったのです。軍服を着ていたのはその子だけで、他の子は平服でした。もはや軍服すら支給されなかったのでしょうか。15歳くらいのその少年からだんだんと小さくなって、みすぼらしい格好で私に敬礼していました。私は密かにこう思いました。「この子は作られたのだ。妾(わらわ)にこれを見せる為に。でも、やったのだ、本当に。」と。そしてただ、少年のどこまでも澄みきった青空のような綺麗な瞳をもっと見たいと背伸びして覗き込んだりしました。あの時覗き込まれて戸惑っていた少年の名前は恐らく、あいだじゅん君だと思います。
姫様はプリプリ怒っておられました。「このようなむごい事があろうか。あってはならぬ。あのようなむごい事が起こったのじゃ。妾は哀れでならぬ。」私は少しうろたえました。「アマテラス様って、始祖じゃん???」と思っていたらお怒りになっている。人類は愚かだったんだ。すると姫様は穏やかに微笑んで私を見て、「それで、姫巫女、この世を一旦終わらせるかこのまま続けるか、そなたが決めよ」と静かに、しかし突然に言われました。よく晴れた小学校の帰り道、なぜか周りに人は通らず、私は「え、今?ここで、私がそんな重要な事を」とびっくりしました。実は確か小学2年生の時だったはずです。学校の体育館で第二次世界大戦の記録映画を学年で見せられたのです。毎日通う小学校が楽しかった私は、体育館に集められた時に今日は最近観たスヌーピーの映画でも見せてくれるのかなー、と思っていました。始まる時に手を叩く子もいました。しかし、それはこういう出だしでした。「それは死体を海に捨てることから始まった。」映画は分かりやすいナレーションで克明に無修正で、最初から最後まで全部見せられました。真珠湾ナチス、沖縄、東京大空襲、etc筆舌に尽くし難い行いが(沖縄のさとうきび畑から逃げてきた男の人に火炎放射器を向ける場面など)ノーカットで、あるいはイラストで全て流されました。原爆のシーンでは、あまりの高熱によって人が一瞬で溶け、影だけが残ったとその影が撮されていました。それを見て、笑った子もいました。理解の範疇(はんちゅう)を超えていたのでしょう。私は一面に転がる黒焦げのマネキンのような死体が山のように折り重なっているのをただ凝視していました。「これは、何?何をしたの?」目が離せなかった。影だけになった人を笑った子がいる。笑うなんて!!
死に切れるはずはないだろう。そう思ってやみませんでした。いつか私のところに来る。そう直感した記憶があります。(そして20年後に真っ黒い影が私の身に覆い被さって、熱線を浴びたように身体が痛み、皮膚が溶ける感触、そのまま口から御霊が出て行ったりもしました。)その映画を見た日から、自分の生きている世界を見る目が変わったと言っても過言ではありません。水もある、食べ物もある、着るもの、きれいに舗装された道路や街並み、電車、まだ新しい学校、大きくて高いビル、なんでもあるじゃないか。でもそれは第二次世界大戦で一度全部焼失して、そこから作られたものだったんだ。実験(!!)の名目で核が落ち、だから今がある。なんでもある、便利できれいな世界。全部戦争があったから存在している。そう思いました。フラフラしながら、でも何故あんな殺し合いが必要だったんだろう、なぜ戦争なんかしないでまっすぐに今のきれいな世界にしなかったんだろう。あれが果たしてなんだったのか、考えてもよく分からなかった私は英霊達を前にして真剣に、どうするか考えてしまったのです。ランドセルを背負ったまま、神様である姫様の前でうつむいてしまいました。多分隕石が落ちてくるんだな。神様だからきっと出来るんだ。ちょっと怖いけど痛くないかしら?
「歴史を繋げてごらん」と姫様が申されたと思います。ひめみこ(どの漢字か未だに解りません)たる私は、英霊の存在と真意を知ったのだから出来るだろうと。真剣に考えました。例えば、このまま世界を続けたらどうなるんだろう?第二次世界大戦が起きてあの恐ろしい核が落ちて、そして今、日本は戦争を体験している大人達がいて一応は平和だけどアメリカとソ連が冷戦状態にある、その先は?と考えた時です。地面に跪いて神に祈りを捧げる信心深いイスラムの人々が見えたのです。『神様が今目の前にいるんだから、正しい行為に違いない』しかし、リーダーシップをとる軍事力のあるキリスト教アメリカと関係が悪くなるのでは?強硬派の指導者が現れるかも知れない。そして次々と脳裏に映像が浮かび、最後にアメリカのビルに飛行機が突っ込むのが見えました。「あちゃー」また、同じ事が起こる!!また沢山の人が国のいさかいで死ぬことになる!!そしてまたアメリカの核が落ちる!!イスラムの少女の涙。因果によって日本に核を落とす事になったアメリカ合衆国。しかも、それすらも因果であったのか?そもそも戦争を仕掛けたのは日本でアメリカが悪い訳ではなかった。私には狂気にも似たアメリカの深い深い悲しみが感じられる。太古の昔、始祖たる天照大神(が受けた悲劇)から派生して(昔天照大神の身に何かがあった?)、全て今に繋がる運命だったなら。焼け死んだ御母たちが、あれ(アメリカと戦争をして焼け死んだ事)は今現在の平和の為だったのだと、全て因果、宿命でありお国の為だったのだと納得の上で戦死を遂げたのであって、心の底からアメリカを憎んでいるのではないのなら?……誰も悪くないのではないか?
ただ御母たちは、この世に遺した我が子を抱きしめてやりたいのだと言うのです。愛しているのだと、人が人として人を愛し、この世を生きていくことがどういう事なのかをちゃんと教えてやりたいのだと言うのです。母の愛に他ならないのだと今も思います。ただ、我が子を抱きしめて、愛していると教えてやりたいのにもはや出来ないのだと、それが無念なのだと言うではありませんか。
それを知った私はどうするのか?
今現在は第二次世界大戦からの続きである。戦争があった事実、しかしそこから物事が派生し未来に於いて再びアメリカの核が落ちる‼終戦から時はまだあまり経っていない。まだ爆心地に近すぎるんだ。沢山の人がまた同じ事になる。黒焦げのマネキンのように焼き殺されちゃうんだ。そうなる事を知っていながら、この世を続けるなんて出来ない‼だって結局、核が落ちた日本と同じ事になるじゃないか‼それが私の出した答えでした。長い沈黙が続き、私は隕石は痛くないだろうか?と考えました。父や母や、姉、みんな一緒に死ぬのなら怖くないだろうか?悲しくないだろうか?この世を終わらすなんて、お父さんとお母さんはなんて言うだろう。きっとみんな嫌だと言うに違いない。でも、また核が落ちるなら結局は同じ事だ。隕石と原爆どっちが怖いだろう。そんな事を考えながら、蚊の鳴くような声で恐る恐る言いました。「私も…、もう…」終わりにした方が…と、言おうとした時です。両手を固く合わせ私を凝視していた御母たちから「キャーッ!!」と甲高い悲鳴が上がったのです。私にはまるで「あの子がー!!」と悲痛な叫びに聞こえたようでした。特攻隊のまだ若過ぎた幼い少年たちも、顔をこわばらせて必死で敬礼し直しました。肉体は焼け焦げ、愛する子供を抱けなかった母たち。ずっと生き残った我が子のそばに居たのに!!抱きしめようとしたのに!!身体が無いなんて!!「身体ー、身体はどこ行った?燃えてるし。あるまじきことじゃ!」私は失望を感じました。
それでも幽霊の御母たちは必死に手を合わせ私ににじり寄る勢いで口ぐちに「姫様!姫様‼」「お願いです‼どうかお救い下さい‼」と叫び地べたに頭を下げ、私がその反応に驚いていると最後に一番後ろにいた年老いた母が手を合わせ小さな声でつぶやくように「姫様どうか…御慈悲を」と懇願したのです。その時、私の心のスイッチがカチッと確かに動きました。「あ、今何か動いた」と感じて、自分でも不思議でしたが「本当に私が決めるの…?でも、本当に、本当に、本当に仕方ないなあ………」という気持ちになったのです。しかし、確かに私は心を動かされました。母の愛によって。自分も女の子だから解ると思いました。日本国の英霊たる御母たちの、我が子を救いたいという母の愛、しかしそれによって誰かが戦争で焼き殺されるかも知れない事、どちらが良いのだろうと考えながら。