天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

業を受け入れる人の生き方とは

私が言いたいのは、人とは自分の意思だけで好き勝手に生きているのではないという事だ。現世に生まれた瞬間から業によって生きるのである。豊かになったような、この平和ボケボケ(?)な現代社会で裕福に贅沢にお気楽に好き勝手だけで生きて良い訳ではない。そのように人がうらやむ幸福(容姿が良いとか、お金持ちだとか、偏差値が高いとか、私には何一つ無いが。)だけを追って生きる事だけが正しいとは言えないのだ。それは、現代社会が未だ未熟な面もあるからであろう。(何せ、お金様様様になってしまった。)人とは、大河の流れに翻弄される笹舟のようであって、自分で漕いで渡れるのは時たまであろう。人生で、どうしたらよいかわからない時は、ただ扉を閉めて部屋の真ん中で無心になり、外から呼ばれればためらいなく出て行き、呼ばれなかったら縁が無いという事だ。「業」という言葉を久しぶりに思い出した。流される笹舟の上でうとうとしながら運命という釣り糸を垂れていたいものである。
人の女の腹から産まれたものはみんな人。人とは、陰と陽のスパーク、すなわち「愛」。それを否定されれば誰でも怒り、「憎しみ」を覚える。もし、それがなかったら…?産まれた時から、「愛」だけしか知らずに育ったらどうなるか。きっと優しく進化を遂げて、宇宙人ララァ(人ならざる者)もしくはラァラ(人なりゆく者)のようになれるだろう。音楽を愛する感応種?因みに、生きて行くのには時たま「意志」は必要だ。