天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

ミジンコは銀河系を理解しているだろうか

2016年7月10日、参議院選挙が近い。日本国が戦後71年間保持してきた憲法を改正するか否か、民意によって方向性が見えて来るだろう。私には、自衛隊が軍隊のようになるべく改正する事が正しいのか、今のままにして世界情勢の中で孤立していく(?)のか、どちらが現在の日本国に相応しいのか、人類の将来を見据えてどうするのが正しいと言えるのかは50対50で正直分からない。選挙には必ず行きますが。
他国では未だ核保有、武器所有が当然で、人種や民族で考え方が違うとか、歴史背景、宗教の違いなどで睨み合っているのが普通なのだ。日本とて、小学校で敵兵を迎え撃つべく竹やりの練習をしていたとか、校庭でさつまいもを作っていた世代が沢山いるのだ。憎しみの連鎖、その特訓。
だがしかし時は流れ、偉い人だけで物事が全て決まる訳ではなく、全ての存在、物事には因果による順序があるという事は言っておきたい。自衛隊がこのまま軍隊になっても、竹やりやさつまいもはまさか無いと思うが現在の日本の平和憲法は、未熟な人類社会にはまだ早過ぎるのかも知れぬ。皆、自分は己自身で生きていると思っているが、人とは愛によって生かされているのであり、人一人の人生などは長い歴史という大きな流れの一端に過ぎないだろう。
人が天を動かすのではなく、天によって人が動かされるのだと思う。小さな田んぼのミジンコが、果たして地球が太陽の周りを周っているのだとかそれより大きな銀河系が無数にあるのだとか理解できるとは到底思えない。無数にあると言う銀河系をもっと外側から見たらどう見えるのか、結局は人類にも分からないのだから、「虚無」であろう。

一切が無、すなわち愛。
何も怖くはない、陰と陽のスパーク。
「愛してる」そのくり返し、
「愛してる」そのくり返しでよい。

まっさらな子供は、愛を受け
あれをもう一度、と愛を求め、
母のあとを追い
それによって脳の神経がつながり
愛を学ぶのです。

それを失くして、どのようにして生きられようか。
人とは「愛」
「憎しみ」はもはや要らぬ。
妾は哀れでならぬのじゃ。

話しは逸れたが、私は日本国憲法というのは、第二次世界大戦という人類史上最大規模、そしてありとあらゆる手段でやり尽くしたとも言える殺し合い(この言い方は正しいだろうか?)の末に、もう二度とこのような惨禍は繰り返さないという人類の気づきによる試みの為の憲章に思える。もし、今現在の日本国憲法先の大戦の反省(若しくは、平和立国への試み)によって存在しているのであり、今はすでに亡き戦争経験者らからの人類恒久平和への招待切符だとしたら。

「愛してる」
そのくり返し
「愛してる」
そのくり返しで良いのです。