天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

生と死について書こうと思う

厳かなクリスマス・イヴです。


日本の延命治療や介護制度の変な所を知って、こんな事を考えました。あと、グリーフケア(悲嘆ケア)というものがあると知ってやるせない気持ちになりました。
私は生まれながらの巫女体質で人には見えない者が視えたり、天照大神である姫様の声が聴こえたり、実際に降ろして(と言うのか?)自分の声に出して色々な存在と会話したりします。姫様に憑依されて精神病院に運ばれたりもしましたが、だからと言って宗教に詳しいとかではなく普通の高校を出て普通に働いていたただの一般人です。でも、偉そうかも知れないけど今までの経験に基づいて生と死について書こうと思うのです。それは、日本の現代社会で私達があまりにも死生観を学ぶ場や機会が無く、身近な人の死、自分が迎える死に対して考える時が無いからです。本来なら宗教の分野なのでしょうが、今の日本の一般社会で死生観を解く時に宗教が健全に機能しているとはもはや思えないのです。

私は宗教家ではありません。でも辛く痛い延命治療や苦しみを伴う延命措置をずっと続けて迎える最期が住み慣れた我が家ではなく介護施設で半強制的にそういった場所で亡くならざるを得ない人々や、突然の身近な人の死によって遺された自分が、形ばかりの葬儀や建前ばかりの世の中で何の救いも無く心が壊れてしまいかねない現代の日本社会には疑問を感じざるを得ないのです。

死ぬのは悪い事ではない。
と書くと誤解を与えそうですが、死んだ方が当人にとっても周りにとっても良い場合があるのではないかと思うのです。(上手く言えない。)だからと言って無理に死ぬ事は無いのですが、人間は必ずそのうち皆、例外無く死ぬのですから(万人が等しく在るという事)、それまでただそっと自分の肉体の健康状態に寄り添って、安らかに慌てず騒がず静かに朽ちれば良いのではないでしょうか?延命治療や延命措置で生じる金の為に苦しむ者にさらに手を施すとか、生きていれば丸儲けとばかり生にしがみつき、廃人と化してまで生き長らえるのはちょっと違うと思うのです。

人は皆、等しく死ぬという事を認めましょう。
死なない人はいません。すでにこの世に居ない人を責めたりするのはやめましょう。遺されて辛い自分を自分で責めるのもこれに当てはまります。過去に何か重い十字架を背負ってしまい、その為に生き続けなければならないと考え過ぎるのも死ねなくなる理由の一つです。
私の体験から、死ぬと魂が肉体から離れて極楽浄土へ往くー、という昔からの教えはあながち迷信ではないと思えます。トランス状態に入った時に黄金に輝く世界を視ましたが、それは中国の絵画のような黄金の雲が左右に展け、柔らかな日差しの中、金色に輝く樹々には美しい花々が咲き乱れ、黄金の水しぶきに沢山の花びらが舞い散り、絵もいわれぬ美しい舟には烏帽子の船頭が櫂を漕ぎ、ゆっくり、ゆっくり、と黄金の河を渡って往くのです。と、書いても分かりづらいかも知れませんが、死ぬのは許し難い位悪い事だったり、死んだら終わりで全て消えて無くなる事は無いはずです。産まれる前の事を覚えてる人はあまりいないと思いますが、生も死も、自分の記憶にない場所に出て往くという事に過ぎないのだと思います。

アフリカの人なんか棺桶担いで笑いながら走り回ったりお祭り騒ぎしたりするし
自分も死んだらその人とまた会えるし。(いい加減だなあ…。だからと言って、悲しくない訳じゃない。これは断じて。)

生きる事は悲しいか、
死ぬ事は罪か。


知らないと後悔する! 親が元気なうちに始めたい「介護の予習」 何に一番困るか、ご存知ですか?(現代ビジネス)- Yahoo!ニュース
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161224-00050536-gendaibiz-bus_all

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(5/5)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45510?page=5

日本グリーフケア協会 | グリーフケアとは
http://www.grief-care.org/about.html