天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

再録2~核が堕ちて日本国に何が起きたのか(続 改神社庁への手紙)

日本国の英霊たる御母たちの、我が子を救いたいという母の愛、しかしそれによってイスラムの人々、もしくは世界中の誰かが戦争で焼き殺されるかも知れない事、どちらが良いのだろうと考えながら。私は大層複雑な気持ちでした。

天照大神と英霊達が私の前に現れ、母の愛によって慈悲を請われた私はこの世を存続する事を選びました。それによって私はこの世に於いて全ての者を生かし「絶対」となったのです。天照大神とは絶対であり不可侵である。そして物事には、順序があるのです。
2016年5月27日に現職アメリカ合衆国大統領オバマ氏が広島を訪れ、人類の平和な未来への道筋と核廃絶をご自分の言葉で真摯にスピーチされ、被爆者と握手を交わし抱き合いました。オバマ氏は人類の歴史に於いて核投下がなんであったのか、人類の科学能力とその産物である大量殺戮兵器の危険性、平和への困難であろう道のりとたゆまぬ努力、そして人々の平凡な日常が何よりもかけがえのない守るべき価値のある事だと述べられました。
私はオバマ氏と話しがしてみたいと思ったものです。
安部首相も引き続き平和と友好を築いていく事が戦争の犠牲者に対する慰霊と鎮魂であり、先の大戦に於ける日本国の終着点である、と話しをまとめました。しかし私はそれだけでは終わらぬ、と決意を以って言いたいのです。私はいつの日か必ず靖国天照大神を奉って頂きたいのです。私は正気ですし真面目で本気です。だからこんなメールをこちら様に送っているのです。

我愛故也憎しみ果てむとせぬや
天照大御神靖国奉らんとすべし

※再録注
(この時私には世界平和に於いて靖国が今のままであってはならないという感覚が強くあり、夢中でよく分かっていなかったのですが、靖国神社天照大神の傘下であり奉っているはずです。ただ、私には世界平和を成し遂げる上でA級戦犯を祀っている今のままの靖国が障害となるならそれを変えなければならないだろうという思いです。)

彼の地、靖国
私が17歳の時に呪い(とも言うべき)を受け心因反応を引き起こす程の憎しみによって一人苦しんでいた頃、精神病院に連れて行かれる事を恐れて誰一人にも話せずその事を隠していました。子供の頃に見た天照大神の事や私の身にのりうつる事となったもはや怨念となりそうだった御母達の御霊の事や神風特攻隊の少年達の事、そして、絶対となった日の後日に知った昭和の頃の日本国の一つの話しについても綴りたいと思います。
その日も私は普段と何ら変わりない小学校の帰り道でした。ただ戦争の幽霊の事や姫様が自分を「ひめみこ」と呼んでいた事をずっと考えていて、もしかしたら自分は少し変な子なのではないだろうか?と一人で悩んでいた時期です。この前の空き地とは別の、右に曲がった所にあるもう一つの空き地にゴミになった雑誌が落ちていたのです。私は漫画が載ってるかもとなぜか興味をひかれ、その雑誌の前にしゃがんでそれをめくってみました。それには確かに漫画は載っていました。ただ内容は子供向けではないヤクザの話しでした。ヤクザのおじさんが私より幼いような自分の子供を訳も解らず虐待していて、納得がいかず大量殺戮兵器を用意している、という内容でした。「変なのー」と私は思いました。「○○、○○、会?」○○会のマークが最後に載っていました。そしてその子が可哀想だなあ、と思ってふと「大量さつりく兵器って、核なのでは?」と思ったのです。ヤクザが国を憎んで核を持ってる?(かもしれない。根拠は無いです。妄想かもしれません。統合失調症ですので)そして自分の子供なのになんでそんな事をするんだろう。このヤクザのおじさんが納得がいかないのは当たり前だ。愛しているはずの我が子になぜそんな事をしなければならないのか。きっと子供には笑って欲しいのだろうにこれでは泣くばかりだろう。なぜこんな事が起きているのだろう?すぐにはよく分かりませんでしだが、ヤクザは怖い人だという事は知っていて今にも自分の国である日本で戦争を始めるかもしれないと知ったのです。「これは作り話だろうか?本当なら国の重要機密なのでは?危険が及ぶのでは?」この捨ててあった雑誌の漫画が、フィクションだったのかノンフィクションだったのかは分からずじまいです。しかしそれを拾って読んだのは間違いの無い事実で、私は何故かすごい胸騒ぎがしてこの話しは見なかったふりをしようと思い、慌てて立ち上がろうとしたのです。しかし、その漫画を読んでしまったという事実はもう二度と取り返しがつきませんでした。そして逃げ出そうにも逃げられず「妖怪ぬりかべだ‼」と思った時です。再び金縛りが起きて自然と正座の姿勢になったのです。そして、目の前にキラキラと輝いて見え「妾(わらわ)は神じゃ、天照じゃ」と仰せになり、正装のお姫様のお姿が見えました。肉眼によって光線の反射で物体を見るのとは違うのだと思います。しかし、はっきりとそこにお姿はありました。果たして他の人には見えるのだろうか?姫様は冠を被り昔のお姫様の見事な装束で、ぽっくりをお履きになり髪は少しフワフワとした御髪(おぐし)でお白髪がチラリと見えました。「わあ!すごい‼本物のお姫様だ、ご衣装もなんて立派なんだろう‼御髪は引きずる位長いのがいい‼」とドキドキしてチラッと御髪を見ましたが腰のあたりまででした。でもなんてお美しくて素敵で素晴らしいお姫様だろう‼他にも白い装束の何人かの女性(おつきの巫女たち)が控えていました。私はドキドキして、ご尊顔を見たら目がつぶれると思ってギュッと目をつぶって恐る恐る拝みました。姫様がなんと申されたのか、パニック状態だったのもあって、細かい記憶はあまりありませんが、ひめみこ、そなたにも何があったのか、何が起きているのか解ったであろう、というような事を仰せになり、人間は何回言っても殺し合いをくり返し、妾を祀り上げては殺し、祀り上げては殺すのくり返しなのじゃ、とお嘆きになっていました。「あのような、」と小鳥のさえずりのような、鈴の音のようなお声でゆっくりと優雅に「あのようなむごい事があろうか、妾はこのようなものが見たかったのではない」と仰せになり「誠あわれじゃ」と深くお嘆きになるのです。私は恐れ多くてずっと南無阿弥陀仏と唱えていましたが、人間は殺し合いのくり返しでこんな優しそうな姫様を祀っては殺し祀っては殺しと聞いて、本当に悲しくなって罰当たりだと、なんて愚かしいのだろうと「人間とは人の間なのだ」と、情けない顔をしたまま黙り込んでしまいました。

※再録注
(私はこの時、姫様を害する事を考えてしまいましたがそうではなく、天照大神を奉って理由とし人々が殺し合いを繰り返すのだと教えて下さったのです。)

姫様は私が何も言わずうなだれて困り果てて泣きそうな顔をしているのをご覧になり、私の気持ちをお察し下さったのかひらひらと上品に手を振って微笑まれ「そのような顔をするでない、ひめみこ。」そして少し考えながら「妾じゃ、妾のせいじゃ、妾のせいにすれば良い」と仰せになったのです。私は本当に泣き出しそうな位悲しかったのですが、驚いて姫様のそのお言葉でどれだけ救われたか知れません。殺し合いの歴史、そして人類史上最大の過ちを、あの救いようの無いような惨状だった戦争の過ちを全て引き受けて下さるのだ。何という救いであろうか、全世界の人に今のお言葉を聞かせたい‼本気でそう思った時、姫様はこうも仰せになりました。「そなたは妾じゃ、ひめみこ」その時の私には意味が分かりませんでした。ただ戦争に行った祖父にこの事を話したらなんて言うかなーと無邪気に考えていました。そして、もし私がひめみこなら神様のご尊顔をチラッと見ても良いんじゃないかと思ったのです。「見たら魂を抜かれるか、それが理由で将来死ぬのかも」と思いましたが、それでも良い‼神様のお顔を見たい‼と決意して姫様がお話しをされている途中でチラッと見たのです。姫様のご尊顔は向かって左側は穏やかでそれは美しかったのですが、向かって右側は修羅の炎が揺らめくように、阿修羅のように見えました。怖くはなかったのですが子供心に「どっち?」と思いました。この神様だと仰せになるお姫様は本当に良いお姫様?悪いお姫様?私は感覚で探ってみましたが悪いお姫様の感じではありませんでした。
「ひめみこ、今からそなたの身に母達の御霊(みたま)を乗り移させる、よいな?」と姫様は仰せになり、横目でチラッと見ると後ろにボロボロのモンペ姿の防空頭巾を被った、気が違ったように疲れ果てた顔の女性達が跪いて(ひざまずいて)いました。中には青い顔をして、稲妻のように鋭い目つきの若い御母もいて悲しみのあまりそうなってしまったのだろうか?これが私の身体から離れる時どういう感じがするのだろうと少しゾッとしたものです。
私はその時7~8歳でしたが、それからその事を忘れ去って約20年後に御母達は私の身体から離れて行きました。まず足の先から何かが離れていって心臓発作が起き、ものすごい動悸と共に息が止まり顎が持ち上がって身体の内側から膨らむようにせり上がったものがバチバチと音を立てて口から出ていくのです。私はそのまま倒れて救急車で運ばれたりしました。そして姫様が私の身体を借りて「あってはならぬ‼妾は哀れでならぬ‼二度とあってはならぬのじゃ‼」と泣き叫ばれたのです。そして、そんな事が何度かあって統合失調症患者としての精神障害者としての今があるのです。

彼の地、靖国

17歳からの自分の呪いみたいな出来事で頭がいっぱいで靖国の存在など考えた事も無かったのですが、そこに至るまでにもこんな事がありました。自分の身に御母達の御霊が乗り移っている事などすっかり忘れ、新卒でごく普通の小さな印刷製版会社に勤めていた頃です。若いOLだった私は会社の先輩達に誘われて、帰りにビアガーデンに行こう!となりました。私は仕事の都合と九段会館という場所を知らなかったので、一人でタクシーに乗って行ったのです。日が伸びたとはいえもう夜でした。タクシーの後部座席に座って信号待ちになり何とは無しに右の方を見ると、もう暗かったのですが何か大きくて荘厳な像が沢山置かれている場所があって、私はギョッとして息をのみました。そこは沢山の何かがギュウギュウにひしめき合って一帯が青くぼんやりと光っているのです。ギョッとして、心臓が口から出そうになり、戦慄が走って私はそこから目が離せませんでした。心臓が早鐘のように打ち、息が苦しくなって思わず胸を押さえました。これは、何…?タクシーの運転手さんにここは何ですかと口をパクパクさせて聞こうとしましたが、答えを聞くのが怖すぎてやめました。私は右手を凝視して、具合が悪くなるのはこのただならぬ気配が怨念などの陰湿なものだからだろうか?と考え、東京にそんなあってはならない場所が?と不安になり、胸を押さえたまま感覚を研ぎ澄ませてみました。いや、これは怨念ではない、何か高潔さ、高貴さすら感じる畏怖の念を感じさせる膨大な何かだ、悪い気配ではないと結論し、少しホッとしました。が、ビアガーデンに着いてからもずっと嫌な予感がして気分が悪く、まるで上の空でした。そして、そこが何であるか、すでに子供の頃の姫様や英霊達の記憶はなく、自分はキャピキャピとした普通のOLだと思い込んでいた私にはその時知る由もなかったのですが、其処こそが靖国神社だったのです。