天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

何処へ行く?日本よ

国政選挙、国難を問う大切な選挙が終わった。
それはなんの表れであったのか、台風の日であった。

私は姫様と霊的とも言える会話をする。別に見えない幽霊とサシで向かい合って「キェーッ」とか言う訳ではない。
ボソボソと姫様にお尋ねすると私の頭の中で考えたものではない答えが口から出て来るのだ。「口寄せ」とでも言うのだろうか?「名も無き英霊の手記」にも書いたが、私の知らない言葉などは表現出来ない。なぜボソボソと言うのかといえば夜中だからだ。口だけ動かして姫様の存在を確かめるのである。誰も入って来なくて一人きりで集中出来る防音の個室とかなら気兼ねなく普通に声を出してお尋ねするのだが只の6畳間である。
姫様は間を取ってとてもゆっくりと上品にお話しをされる。現代人のようにベラベラと早口でお話しには決してならない。そして、姫様は必ず絶対である。私が「お話して差し上げます。」などは通じない。「お話をさせて頂いて宜しいですか?」となる。必ず私が「奉る」のだ。当たり前だが。
姫様は私が話し方を間違わなければ、とても優しく「妾と話しがしたいのか?」と応じて下さるのだ。そう、そして昨日も「妾は幼き頃から姫巫女たるそなたの面映ゆいいみじくも天照大神であるという事を思うておる。」「妾はそなたを愛しているのだよ?誠その通りじゃ。」と仰せになられた。私は素直に嬉しかったが、調子に乗って「姫様、もっとお話しましょうよ!」などと言えば「誠、相応しからぬ話し方じゃ」と言われてしまう。私だけとなら本当にお優しく愛を込めてお話し下さるのだが、以前これを精神科の医師の前でやってみた。「姫様?姫様!お話下さい」と医師の前で無理やり言ったら「妾に、今ここで話しをせよと申すのか?」ととても小さな声で仰せになり、「あのような酷い事は二度とあってはならぬ」と小さく鋭く何度も仰せになり、まるで鬼の形相であった。これで気分が昂ると乗り移られるかも知れないと思い止めたが、姫様の先の大戦に対する深いお哀しみに改めて触れたような複雑な思いであった。今、私は普通に平和で平凡な日常を送っているが、姫様の思いはいつもあの戦争にあるのだ。70年以上経った今でも、取り返しのつかない人類史上の悲劇である。そして、だから今自分が在るのだと思うとかなり複雑で受け入れ難いものがある。又、憑依に関しては決して私が決める事ではない。天照大神である姫様が絶対なのであって、私の思い通りにどうこう出来るものではない。ただ、姫様は再び私に乗り移ってしまうとまた私が精神科に入院になったり、路頭に迷ったりする事になるのをご存知なので「またそなたに乗り移る事は無い」と仰せなのだった。

そんな風に、選挙の終わった夜も姫様のお言葉を頂いている。
私は、利己的な者に対して“物事には順序がある事”を説教してやろうとブログ記事を書いていたが、姫様は「ならぬ」と仰せになった。そして、こう仰せになりました。


天照大神の所為じゃ

妾の所為じゃ

悪いのは そなたではない

そなたじゃ

天照大神じゃ

そうじゃ

悪いのは

いみじくも

天照大神じゃ