天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

憲法9条 未来を生きるそなたらへ

2016年7月10日、日本は9条を改めるべきか、密やかに民意を問われた選挙であったが、終わってから「改憲改憲」と騒いでいる。政治家の常套手段(じょうとうしゅだん)であろう。
憲法9条が戦争や平和の事を定めた憲法である事は知っているが、詳しくは知らないものだ。なぜ、いつも9条は議論となるのか?再びウィキペディアで調べてみました。

条文
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法 第9条は、日本国憲法の条文の一つで、憲法前文と伴に「三大原則の1つ」である平和主義を規定しており、この条文だけで憲法の第2章(章名「戦争の放棄」)を構成する。この条文は、憲法第9条第1項の内容である「戦争の放棄」、憲法第9条第2項前段の内容である「戦力の不保持」、憲法第9条第2項後段の内容である「交戦権の否認」の3つの規範的要素から構成されている。日本国憲法を「平和憲法」と呼ぶのは、憲法前文の記述およびこの第9条の存在に由来している。

日本国は、この憲法によって最初から他国と戦う為の軍隊を持たず、戦争もしない、と言い切っている。だから、戦後70年の平和が保たれていたのだろう。「終戦のエンペラー」という、昭和天皇裕仁を題材にした、終戦直後の日米の動きが描かれた映画では、マッカーサーが「私は(平和立国となり得るのか)日本で実験したい」と言う場面があります。

私は、あのむごい戦争の果てにアメリカと日本が見出したのは、軍を持たず、戦争もしないという人類が未だ到達できない恒久平和の国であり、しかし本当にそんな事が出来るのだろうか?日本人で試してみたい、そんな思いを当時の人々から投げかけられているような気持ちになるのです。

深く思う、核が落ちたこの国でー

ウィキペディアの「日本国憲法第9条」には、この項の成り立ちや経緯も色々書いてあります。H.G.ウェルズの「タイムマシン」の中の人権思想に影響を受けたとの記載もあります。

ハーバート・ジョージ・ウェルズ日本国憲法
『タイムマシン』を発表したSF小説家であり、思想家でもあるハーバート・ジョージ・ウェルズH.G.ウェルズ)は、日本国憲法の原案作成に大きな影響を与えたとされる。特に本条の平和主義と戦力の不保持は、ウェルズの人権思想が色濃く反映されている。しかし、ウェルズの原案から日本国憲法の制定までに様々な改変が行われたため、現在における本条の改正議論が行われる一つの原因となっている。

また、この原案を世界全ての国に適用して初めて戦争放棄と戦力の不保持が出来るように記されていることが根幹にある。そして、ウェルズも世界全ての国に適用しようと考えたが、結果として、日本のみにしか実現しなかったことで、本条の解釈に無理が生じたといわれている。

人は、戦争をすれば、「もうやめよう」と言い、平和が来れば「また戦おう」と言い出すのかも知れません。天照大神が、昔私に仰せになったあの言葉が思い出されます。
「人とは、妾を奉っては殺し、奉っては殺すのくり返しなのじゃ」
(私はあの時、姫様を殺すのかと勘違いをしましたが、そうではなく、姫様を理由にして、戦争をくり返す、そう仰せになったのです。)

もはや、その殺し合いのくり返しからは逃れられないのかも知れません。しかし、物事には順序があり、縦の糸と横の糸が織物のように繋がっているのだと思います。こっちの端をひっぱれば、あっちが動く。
日本が戦争を仕掛け、核が落ち終戦を迎え、70年の平和があった。今後また、日本は軍隊を持つ事になるのかもしれない、しかし、同じ轍を踏むだろうか?その時こそ、マッカーサーの実験は結果を見ることになるだろう。