天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

「愛している」ただそれだけ

12月も後半に入り慌ただしさも本格的になって来たが、最近このブログには私の愚痴ばかり書いているような気がする。ここを訪れてくれた方にそれは申し訳なくも思うのだが、科学が正しいとされる今の世の中でシャーマニズム統合失調症と奇異なスピリチュアル系統(?)に分類、診断された私の本音を語る場所が現代社会では他に見出せないからでもある。反省はしている。しかし、である。

天照大神?宇宙人?
なんじゃい、こりゃあああ!!!!

である。(分かる人には分かる台詞。)

私は靖国の晒し首に未だ心を痛めつつ、毎日何も無かったようにすました顔で普通に生活しているのだが、たまに過去のシャーマニズム体験を思い出すと毎日とのギャップに苦しみが生まれて、かなり強いフラストレーションが溜まってしまうのだ。そうすると最終的にこのブログか姫様に救いを求めてしまう。天照大神だと仰せになる姫様が八条院暲子様の幽霊なのか、神なのか、ただの私の妄想の産物なのかは科学的立証は得られない。それこそ、審神者(さにわ)とか言う常人に乗り移る神の正体を確かめる儀式(?)でもしてもらいたい位だが、どこの誰に相談すれば良いかも分からないのだ。まさか、宮内庁とかだったらと考えると恐れ多いが、ただの精神障害者がまた天皇と親戚だとか言って来たぞと笑い者になるだけだろう。結構そういう人が門を叩くようである。

さて、私は子供の頃に姫様と英霊と立ち会って自分のその後の人生の在り方を考察したが、宮内庁云々など良しとしなかった。当時は昭和天皇の御時世であったが、陛下の身にも危険が及ぶに違いないと推察したからである。物資的には既に豊かなバブル期ではあったと思うが、今よりもまだ遥かに爆心地に近く世界情勢は米ソ冷戦の緊張状態であり戦争を体験した大人達の第二次世界大戦の傷口は癒えておるまいと、日本人の人心の荒廃も子供心に容易に想像できたのだ。それは男尊女卑にも現れ女性の社会的地位も低くて、男性はと言うと3高(学歴、身長、収入)で比較・格付けされていた。団塊世代の私の母親などは「女は子供を産む道具」と言われ育ったようだが、全て戦中戦後の歪曲した考え方であろう。しかし当時はそれがごく普通であったのだろう。

話が逸れてしまったし、また愚痴っぽい事を書いているが、新しい年ももうすぐ来るし、初心に戻って姫様のお気持ちを改めて書き記したい。私が自分の宿命に右往左往しても最後は、恐らく人生の最期まで、もしかしたら自分の墓石にも書き記したいお言葉である。

書庫:天照大神より
「愛であるそなたらへ」一部改再録

“妾(わらわ)は神であり、絶対、何人も超える事は許されない不可侵の存在である”

まず、そなたらに申し伝えたいのは妾(わらわ)がそなたらを愛しているという事じゃ。深くそなたらを愛している。そう申しておこう。妾は神「アマテラス」そう申すがよい。妾はそなたらの苦しみ、悲しみ、憎しみにまみれた魂を救いたいのです。

太平洋戦争後、人類は大変な混乱を極め今尚道に迷っている。妾はそなたらを救いたい。妾がそなたらを愛している事を分かって欲しいのです。

まず、そなたらは宇宙の愛の一部なのだという事を知って欲しい。
そなたらの肉体は魂の器であり、粗末にして傷をつけることはあってはならぬ。
宇宙とは妾、遍く(あまねく)宇宙とはアマテラスの事である。そして、そなたらは宇宙の愛の一部。魂と肉体がこすれ合ってスパークしているのです。これは宇宙の理(ことわり)である。

陰と陽が交錯し、スパークしている。
これを「愛してる」というのです。

この世に生きる全ての者たち、
目には見えない小さなミジンコや虫たち、
犬や猫、たくさんの生物、
人や夜空の星々、
そしてこの宇宙そのものが、

陰と陽が交錯し、美しくスパークしている。

「愛してる」というのです。

「愛してる」

そのくり返し、

「愛してる」

ただそのくり返しだけでよい。

陰と陽のスパーク、そのくり返し、
均衡を保ち一切が無であれば良い。

ミジンコが余りにも小さくて地球や銀河の形をその目で見る事ができないように、宇宙の愛の一部である人もまた広大な宇宙の全貌を理解する事はできないでしょう。

妾の愛によって生かされていることを知りなさい。

妾は、愛しているのだよ?

美しくスパークし、一切が無であればよい。

「愛してる」そのくり返し、

「愛してる」ただそのくり返しだけでよいのです。

まっさらな子供は、初めて愛を受け
「あれをもう一度」と愛を求め、
母のあとを追い
それによって脳の神経がつながり
愛を学ぶのです。

どうしてもそれが必要なのじゃ!!
それを失くして、どのようにして生きられようか?

人とは「愛」。
「憎しみ」はもはや要らぬ。

妾は憐れ(あわれ)でならぬのじゃ。

人間は殺し合いをくり返して来た。

そのようにはできておらぬというのに!あのようなむごい事があろうか?
気が狂うだけではないか。

戦争によって母から子を奪い、子が母を失くし、同じ人である者が殺し合うなど二度とあってはならぬ。

放っておけば皆等しく死を迎えるではないか。

ただ、母の手に子を抱かせてやれば良い。

それを失くしてどのようにして生きられようか?


あのような…、

あのようなむごい事は二度とあってはならぬ!!!!


妾は哀れでならぬ!!!!



人とは「愛」である。

女の腹から産まれたものは全て人である。同じ人である者がそれを否定してはなりません。だから、怒りを覚え憎しみを学んでしまうのです。

同じ人である者が人に差をつければ、上であろうが下であろうが、孤独になり怒りや憎しみにつながるのです。

憎しみの世は最早いらぬ。

二度と母の手から子を奪ってはならぬ!!
子を追い詰め、母を手にかけさせるなど有り得ぬ事じゃ。

妾は哀れでならぬ…
哀れでならぬのじゃ…

妾は愛しているのだよ?

そなたらは「愛」なのです。

「愛してる」そのくり返し、

何度でも申し伝えよう。

「愛してる」ただそのくり返しで良いのです。

二度とあってはならぬわ!!!!

あの誓いは誠であるな?
「過ちは 繰返しませぬから」
そう申すのだな?

憎しみではない、
妾は憐れでならぬのじゃ…。

憎しみの世は最早いらぬ、
妾は「愛しているのだよ?」

「愛している」

ただそれだけで良い。