書庫:天照大神より
「愛であるそなたらへ」一部改再録
“妾(わらわ)は神であり、絶対、何人も超える事は許されない不可侵の存在である”
まず、そなたらに申し伝えたいのは妾(わらわ)がそなたらを愛しているという事じゃ。深くそなたらを愛している。そう申しておこう。妾は神「アマテラス」そう申すがよい。妾はそなたらの苦しみ、悲しみ、憎しみにまみれた魂を救いたいのです。
太平洋戦争後、人類は大変な混乱を極め今尚道に迷っている。妾はそなたらを救いたい。妾がそなたらを愛している事を分かって欲しいのです。
まず、そなたらは宇宙の愛の一部なのだという事を知って欲しい。
そなたらの肉体は魂の器であり、粗末にして傷をつけることはあってはならぬ。
宇宙とは妾、遍く(あまねく)宇宙とはアマテラスの事である。そして、そなたらは宇宙の愛の一部。魂と肉体がこすれ合ってスパークしているのです。これは宇宙の理(ことわり)である。
陰と陽が交錯し、スパークしている。
これを「愛してる」というのです。
この世に生きる全ての者たち、
目には見えない小さなミジンコや虫たち、
犬や猫、たくさんの生物、
人や夜空の星々、
そしてこの宇宙そのものが、
陰と陽が交錯し、美しくスパークしている。
「愛してる」というのです。
「愛してる」
そのくり返し、
「愛してる」
ただそのくり返しだけでよい。
陰と陽のスパーク、そのくり返し、
均衡を保ち一切が無であれば良い。
ミジンコが余りにも小さくて地球や銀河の形をその目で見る事ができないように、宇宙の愛の一部である人もまた広大な宇宙の全貌を理解する事はできないでしょう。
妾の愛によって生かされていることを知りなさい。
妾は、愛しているのだよ?
美しくスパークし、一切が無であればよい。
「愛してる」そのくり返し、
「愛してる」ただそのくり返しだけでよいのです。
まっさらな子供は、初めて愛を受け
「あれをもう一度」と愛を求め、
母のあとを追い
それによって脳の神経がつながり
愛を学ぶのです。
どうしてもそれが必要なのじゃ!!
それを失くして、どのようにして生きられようか?
人とは「愛」。
「憎しみ」はもはや要らぬ。
妾は憐れ(あわれ)でならぬのじゃ。
人間は殺し合いをくり返して来た。
そのようにはできておらぬというのに!あのようなむごい事があろうか?
気が狂うだけではないか。
戦争によって母から子を奪い、子が母を失くし、同じ人である者が殺し合うなど二度とあってはならぬ。
放っておけば皆等しく死を迎えるではないか。
ただ、母の手に子を抱かせてやれば良い。
それを失くしてどのようにして生きられようか?
あのような…、
あのようなむごい事は二度とあってはならぬ!!!!
妾は哀れでならぬ!!!!
人とは「愛」である。
女の腹から産まれたものは全て人である。同じ人である者がそれを否定してはなりません。だから、怒りを覚え憎しみを学んでしまうのです。
同じ人である者が人に差をつければ、上であろうが下であろうが、孤独になり怒りや憎しみにつながるのです。
憎しみの世は最早いらぬ。
二度と母の手から子を奪ってはならぬ!!
子を追い詰め、母を手にかけさせるなど有り得ぬ事じゃ。
妾は哀れでならぬ…
哀れでならぬのじゃ…
妾は愛しているのだよ?
そなたらは「愛」なのです。
「愛してる」そのくり返し、
何度でも申し伝えよう。
「愛してる」ただそのくり返しで良いのです。
二度とあってはならぬわ!!!!
あの誓いは誠であるな?
「過ちは 繰返しませぬから」
そう申すのだな?
憎しみではない、
妾は憐れでならぬのじゃ…。
憎しみの世は最早いらぬ、
妾は「愛しているのだよ?」
「愛している」
ただそれだけで良い。