天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

私見で靖国神社の在り方について書く

私見ではあるが、終戦の日とされる今日書かせて頂こうと思う。靖国神社についてである。
今の靖国神社の在り方はやはり呪いとなってしまっているのだろうか?ウィキペディア靖国神社を調べてみると、この様な記載がある。
靖国神社は単立神社として神社本庁との包括関係に属していない。これは「靖国神社は日本国の護持の神社であり、いつかは国に返すべきなので、特定の宗教法人の包括下に入るべきではない」という靖国神社神社本庁双方の判断によるものである。』
この様な知識は恐らく大半の日本人は知らないのでは無いだろうか。神社本庁に属さない神社。海外からは戦争神社とも呼ばれる事があるらしい。日本の軍国主義の象徴の様に映るのだろう。現在でも政治家が個人的にであっても参拝すると嫌がる人々がいるのが事実である。
終戦(昭和20年、1945年)から78年が経ち、先の大戦を知る世代も高齢化している。当時の貴重な記憶や記録を全てそのまま留め残す事は難しくなっていくだろう。戦争を経験していない世代は平和の重大さを伝えられていても義務教育で靖国神社の歴史や詳細は何も教わっていないし令和の現在でもそれは変わっていないのではないかと私は思っている。何故ならそれは、日本がまた戦争をする国にしない為の米国の布石であったからに違いない。特に国家神道を軸とした日本の軍国主義と国体の在り方は大いに問題視され様々な議論があり最終的に神道指令※が発布された。
神道指令とはGHQが日本政府に対して発した覚書「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。(過去記事『ローマ教皇靖国神社』より。元はウィキペディアより。)
ローマ教皇と靖国神社 - 天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

しかし「靖国神社は日本国の護持の神社であり、いつかは国に返すべき」とあるので、いつかは神社本庁に帰属され包括されるのだろうか?
今のままでは…私などがこの様な事を申し上げても良いのか分からないのだが…何と言うのか…、お国の為に命を捧げたが故にお国を許せずに存在している神社、に見えてしまうとは言えないだろうか?以前にも書いたのだが靖国神社は戦死した後、御霊が英霊として奉られる為の神社であった。先の大戦でも「靖国で会おう」と誓い合って幾万の無辜なる人々が命を賭したのである。戦争で死ぬ為の神社。しかしその様な事はもうあってはならないのでは無いか?もちろん戦後には靖国神社自体の存続の議論も長い間あったらしい。しかし、それは日本人の心の拠り所として存続を認められたのである。それを否定する訳では無いが靖国神社の存続を認める替わりに国家神道が廃止されたとも今では言えなくも無いような気がする。(国家神道の復古を言っている訳では無い。)

私が靖国靖国と書き立てるのは、靖国神社が今のままの状態ではまるで戦死した方々がお国を許せずそのまま独立して存在している怨霊神社の様に仕立てられてしまっていると感じるからである。そして直に英霊方と接した私から言えばその様にしてしまっているのは奉られている英霊方が本当に国を呪う怨霊だから、とかでは全く無く、何を隠そう今現在を生きる命ある我々の所為になってしまっているのではないだろうか?と思うからだ。靖国神社の在り方など興味関心も無い、記憶の彼方に封じ込めたいもしくは逆に戦争で大切な人を失った悲しみ、想像を絶する悲劇を体験した人々の負の記憶によって靖国神社が今の宙ぶらりんな状態になってしまっていると言えないだろうか?しかし私には何も慰める様な言葉は書けない。私もこの様な人生で無ければ靖国神社など知らなかったし、戦争だって経験していないからである。

其処が何なのか何も知らなかったが靖国神社を生まれて初めて視た時の衝撃と畏れは一生忘れまい。それは何かがギュウギュウにひしめき合い一帯が青く光って視えた。

『具合が悪くなるのはこのただならぬ気配が怨念などの陰湿なものだからだろうか?と考え、東京にそんなあってはならない場所が?と不安になり、胸を押さえたまま感覚を研ぎ澄ませてみました。いや、これは怨念ではない、何か高潔さ、高貴さすら感じる畏怖の念を感じさせる膨大な何かだ、悪い気配ではないと結論し、少しホッとしました。』
(過去記事、英霊 御母との約束2より)
英霊 御母との約束2 - 天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

私は戦争を経験してはいない。だがしかし、子供の頃に天照大神である姫様に戦争で酷くして亡くなった御母方の御霊を身に移されそれから20年後にその御霊が口から出て行ってそのまま倒れ救急車で運ばれたり、姫様ご自身が乗り移って『妾は哀れでならぬ、哀れでならぬのじゃ』と靖国神社で泣き叫んだ事はある。(ちなみに姫様は『あまりに数が多過ぎる』と恐れ慄いておられます。)

その様な、現代社会には属さない狂気の巫女的体験をしたからこそあの様な戦争はもう二度とあってはならないと思うし、何よりも戦死する為の神社になってしまった靖国神社を、多分この世に生まれて来てはならなかった戦争の落とし子の様な私の目が黒い内にせめて国に返して欲しいのである。この様な事は多分この世に1個体余分なのではないか?と自分で考えている私にしか書けるものでは無いのでは無いかと思うし戦争を経験した靖国神社が何であるか認識している世代がいなくなってしまう前に私は心の底から強く皆さんに訴えたいのである。
しかし、悲しい哉、令和の今の世では猫のへそ天が幾万イイね!を集めて話題になっても誰も靖国神社の在り方など何も触れる者は無く、話題にもならず今も宙ぶらりんで放置されているのである。そこに奉られている高潔な英霊方の無念を思えば私は心の底から悲しみと虚しさと憐れみを感じるばかりである。そして涙が出る思いなのだ。

末筆ながら、
このたびの台風被害に際し、心よりお見舞いを申し上げます。また接近中の台風によって被害が拡大しない事をお祈り申し上げます。