天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

再録:天照大神の嘆き〜2016年9月24日

今から6年前の記事になります。
確かまだYahoo!ブログだった時のものです。


天照大神の嘆き 2016年9月24日」

話があるのじゃ
わかっているのであろう?
妾(わらわ)は天照大神じゃ
天照大神なのじゃ

あまりにも相応しからぬ世となった
あってはならぬ
あのようなむごい行いは
あってはならぬ

わかっているのならば良い
あまりにも
あまりにも
天照大神
あまりにも
妾は神じゃ

あのようなむごい行い
有り得ぬ
妾じゃ
天照大神なのじゃ
わかっているのであれば良い
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ひめみこです。
斎王祭のお姫様みたいな御姿の姫様は天照大神だと仰せになる。小さい頃から私の側にいて、私の事を「ひめみこ」とお呼びになった。
28歳の時に、戦争で亡くなった御母達の御霊(みたま)が私の身体から離れ私は初めて姫様に憑依されました。それはとある駅で、姫様は滂沱の涙で泣き叫び「あってはならぬ、二度とあってはならぬ‼妾は哀れでならぬ、哀れでならぬのじゃ‼あのようなむごい事があろうか、妾は哀れでならぬ、哀れでならぬのじゃ‼」と胸は悲しみで締め付けられ、涙も声も枯れんばかりに泣き叫び、打ちひしがれ私は救急車で病院に運ばれたのです。

私自身信じられなかったー。
統合失調症の陽性症状だと診断され、10年通院しました。平穏な日常が、71年前の戦争の悲劇を忘れさせてしまう。子供の頃の英霊達の事も。でも姫様は違うのです。姫様がいつも仰せになるのは戦争の事。そして、核爆弾が日本に落ちたから私がいるのだと再認識させられる。姫様は何回か私に憑依して、私は靖国神社にも駆け付けました。夜、何かがぎゅうぎゅうにひしめき合って青く光っていた靖国。そこがなんであるか未だ知らなかったけれど、あの畏怖の念を感じさせる何か。怨念ではない、何か圧倒され、高貴さすら感じさせる何かがいる場所。姫様は、私の身でそこへ駆け込み凄まじい形相で入り口に捧げられていた枯れた花束を掴み、「あってはならぬ‼あってはならぬのじゃ‼二度とあってはならぬのじゃ‼」「妾は哀れでならぬ‼哀れでならぬのじゃ‼」と泣き叫んで広い参道の途中で倒れ、地に伏して嗚咽し打ちひしがれました。それは平穏な秋の午後で、通り過ぎる人々がいた。知らない女性が何を思ったのか私に飴を差し出し、私は青い顔で「二度とあってはなりません。」と申し上げたのです。姫様のお気持ちが痛い程理解できた。私は子供の頃に、英霊が未だ成仏できずこの世に留まっている事を知り、勿論広島や長崎で亡くなった何万人の御霊も居るだろうと思った。どのようにして成仏させれば良いのか、自分がどのように生きれば良いのか考えました。そして、何もしない事にしたのです。無念さを募らせ、この世に留まる何万もの御霊に対して、何もせず突き放して突き放して20数年経って、初めて抱きしめた。「妾は哀れでならぬ‼」と言って靖国に駆け付け涙し、抱きしめてやったのです。天照大神を待っていた無念の英霊達は喜びを覚え、ようやく愛となれたでしょう。その夜、東京の方角から地鳴りが聞こえた記憶があります。私はあれは、御霊という組成が解放され天に昇ったのだと考えました。枯れた花束は、靖国神社の賽銭箱の上に叩きつけてやりました。天照大神の、姫様のお気持ちを考えれば良いものを。

亡くなった私の祖父は今の中国に戦争に行ったそうです。私は不思議でした。怖かっただろうに、なぜ赤紙が来て逃げたりしなかったのだろう。それに、神風特攻隊とは?何故あんな事をしたのだろう?どんな意味があって?
夏休みのお盆に祖父母に会い、私は聞いてみたかったのですが自らを思えば何も言えませんでした。「おじいちゃん、私天照大神なんだよ‼戦争があったから生まれてきたんだよ‼」なんて、首を絞められるんじゃないかと思ったのです。私は信心深く一心に仏壇に読経する祖父母を観察しました。『あ、これ妾だ。』仏像を見て思ったものです。不思議な、遠い遠い過去からの繋がり。そんな夜、いとこ達や祖父母や親達と花火をしていた時、すがるようにお経を読み一心に仏に拝むおじいちゃん、おばあちゃんの気持ちを思い、赤紙が届いて中国に行った話しを思い出しアメリカの戦艦に突っ込んだ飛行機を思い祖父母の背の中を覗いて私は悟りました。「人とは、自分の意志で生きるのではないのだー。」人とは、ただ運命に呼ばれて行き、そこに為すべき事があれば為すー、ただそれだけなんだ。祖父母の背の中は花火が打ち上がる宙(そら)のように真っ暗で、どこまでも深く静かな「無」でした。「人」とは、自ら動くのではないー。
だから私も、呼ばれれば行き呼ばれなければ縁が無い、そうやって生きて来たのです。

きっと姫様は、天照大神としてお姫様らしく生きられたに違いない。平安末期の頃の人物のようだ。鈴の音のようなお声で「妾は神じゃ、天照じゃ」と仰せになる。姫様が神様としておわしたから私はきっとこんななのだろう。ただの精神障害者になってしまった。戦争の後、物質的・科学的な面ばかりに発展し人々は忙しく動き回り、挙句に病み自死する者もいる。資本主義は唯の拝金主義になりつつある。

このブログは読む者は読み、知らない者は一生知らない。それから物事が派生して未来が訪れる。物事には順序があるのだ。

一切が無であればよい。