#815に何度でも申し伝えよう
続・#815に何度でも申し伝えよう
と、昔の記事を2篇再録しましたが、私はその後まだ自分が何者か分からないまま、子供の頃の朧げな記憶、彼の地靖國に膨大な数の御霊が。姫様が恐れ慄く程の膨大な成仏出来ずに怨霊とならんばかりに靖國に縛られた英霊の御霊が待っている事に気付き駆けつけたのです。
そして天照大神と共鳴しながら泣き叫び倒れ「あってはならぬ、二度とあってはならぬ」と、「妾は憐れでならぬ、憐れでならぬのじゃ」と靖國の境内を滂沱しながら這いずり青い顔で泣き喚いていました。そうして御霊を抱きしめて愛と為し靖國の呪いを解いたのです。
あれはもう何年前になるのだろう?
私はやはり、頭がおかしなただの変な女だろうか?
しかし、今は家族に見守られながら平穏に毎日を過ごしています。しかし、決して普通ではない我が身の生き辛さからこのブログで毒を吐く事もありますが、
『戦争』
という人類の極めて有るまじき歴史、あのありとあらゆる手段で行われた人類の人類による大量殺戮。
もはや、取返しはつかないのではないか?
しかし、私は今現在に繋げてしまった。
せめて苦しまずに人類が終焉を迎えられるように、と。
憐みを…。
御母の、愛に心打たれ、
この世の存続を赦したのです。
皆さんはきっと姫様の御言葉を聞きたいでしょう。
私は今、とあるカフェでこの文章を打っていますが姫様はこう仰せです。
“こうじゃ、姫巫女。
あのような、
有るまじき行い
げに有るまじき
非道なる数々の
行いにて
憐れでならぬ
あのような、
憐れでならぬ。
愛している、と
申したいところだが
あまり
あまりにもじゃ
あまりにも
憐れじゃ。
妾は
何も
分かっておらぬが
靖國に
奉るがよい。
あまりにも、
むごすぎた。
涙が出る。
妾は
涙が出るのじゃ。
”
我愛故也憎しみ果てむとせぬや
『
人とは愛ゆえ、
憎しみは果てるがよい。
天照大神を靖國に
奉るべし
』