天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

安倍首相の祖父•岸信介と日米安保

選挙に行こう!
白票でも良いから、選挙権を行使しよう!
税金だけ納めて、国民の権利を行使しないなんて、意味がありません。

『蒔(ま)かぬ種(たね)は生(は)えぬ』
原因のない所に結果はない。何も働き掛けをしていないのに、良い報いを期待しても得られる道理がない。

何よりも、今ある日本のこの平和こそ、戦争で亡くなった沢山の人々の命の上に成り立っていて、実際に私が子供の時に相まみえた特攻隊の少年は、「自分は、今のこの平和な世に来たかったのであります!だから、やったのであります!」と私に言いました。
安倍さんは「日本に軍隊を作るのが祖父の代からの夢」だと言ったそうですね。安倍首相の祖父とは「昭和の妖怪」と言われた岸信介です。どういう人物だったのか、ウィキペディアでウィキってみました。

(ウィキペディアより抜粋)
岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。

東條英機内閣の太平洋戦争開戦時の重要閣僚であったことから極東国際軍事裁判ではA級戦犯被疑者として3年半拘留されたが、不起訴のまま無罪放免されている。他の戦争指導者同様、公職追放は免れなかったが、それも東西冷戦の影響による米国の方針変更によりサンフランシスコ講和条約発効とともに解除される。

1945年(昭和20年)8月15日に戦争が終結した後に故郷の山口市に帰郷していた所を、日本を占領下に置いた連合国軍からA級戦犯被疑者として逮捕され、東京の巣鴨拘置所に収監された。自殺する政治家や軍人もいたなか岸は「名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ」と裁判で堂々と主張するつもりで、「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。しかし勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。」「侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」として臨んだ。また、「今次戦争の起こらざるを得なかった理由、換言すれば此の戦は飽く迄吾等の生存の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任である」「終戦後各方面に起こりつつある戦争を起こした事が怪しからぬ事であるとの考へ方に対して、飽く迄聖戦の意義を明確ならしめねばならぬと信じた」とも述べている。他にも獄中で書いた『断想録』で新日本は海国として再出発すべきで、「吾等は曾て世界に比類のない国民的結束と世界を驚倒する進歩発展を遂げた。仮令一敗地に塗れたとは云へ、此の国民的優秀性は依然として吾等の血に流れて居るのである。(中略)国民的矜持も国民の内省による国民的自覚の上に立つものである」と書いた。さらに獄中では「日本をこんなに混乱に追いやった責任者の一人として、やはりもう一度政治家として日本の政治を立て直し、残りの生涯をかけてもどれくらいのことができるかわからないけれど、せめてこれならと見極めがつくようなことをやるのは務めではないか」と戦後の政治復帰を戦争の贖罪として考えるようになった。

A級戦犯と疑われながらも、自決もせず、生き延びて政治家としてやり直すことが贖罪だと言ってるみたいですね。

日米安保条約の改定を巡って反対運動が国民で高まり、政府、右翼、ヤクザvs国民デモ隊との闘争もあったようです。細かい経緯で刺されたりもしてます。当時は、アメリカ支配とか、安保とかに対してアレルギーかアナフィラキシーショックのように国中がなっていたんでしょうね。沖縄返還や、高度経済成長の基盤を作ったとも書いてありました。鳩山一郎の名前も出てきます。

今の政治家を知るには、先祖を調べると分かってきます。よく靖国に参拝して周辺諸国がアレルギーを起こしますが、多分、親族とか、祖父の代からの親しい家柄だとかがあるんでしょうね。

ただ、私は困ります。天照大神を祀って頂かないと、国が治まりません。英霊も納得がいきません。自分達を戦地に送った国の偉い人が神様みたいに祀られているんです。私には、今の靖国は昔の武士の合戦の首塚みたいに見えます。

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