天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

君に幸あれ!茨木のり子さんの詩を読む

今日は成人の日、『おめでとう!今日から大人だよ!』と言われても私の場合は何もピンと来なかったなあ…。って、何十年前の話ししてるんでしょう。

何か良いメッセージがあれば、と思っていたが10代、20代は靖国だの9条だのと関心は薄いだろう。ましてや神様だのと言い出せば鼻で笑われそうな気がしてしまう。選挙権があるから決して無関係では無いのだが。今日の新聞にこんな詩が紹介されていた。

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汲む―Y・Yに―   茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

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そして、
2019年1月14日(月)成人の日
毎日新聞の余録である。

大人になるとはどんなことか。きょうは平成最後の成人の日。詩人の茨木(いばらぎ)のり子に<大人になるというのは>で始まる詩がある。すれっからしになることだと考えていた自分が、立ち振る舞いの美しい、すてきな女性に出会う▲詩は続く。<そのひとは私の背のびを見すかしたように なにげない話に言いました 初々しさが大切なの 人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始るのね-->▲その人は新劇の名女優、山本安英(やすえ)。木下順二の「夕鶴」のつうの役で知られる。戦争に協力する芝居には関わらず一線を退いたが、戦後すぐに復帰する。文芸の道を志した茨木はやがて山本と知り合い、交流が始まる。茨木21歳、山本40代はじめの頃だった(後藤正治氏著「清冽(せいれつ) 詩人茨木のり子の肖像」)▲この春には選挙権が18歳に引き下げられて初の統一地方選がある。平成の次の時代には18歳が成人年齢に。若くても大人社会の一員となる。その大人とは。茨木のように人との出会いで気づくこともある▲73歳の時の詩集「倚(よ)りかからず」の表題作がある。できあいの思想、できあいの宗教、できあいの学問、いかなる権威--いずれにももはや倚りかかりたくないと茨木は言う▲詩にはこうある。<ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある>。彼女の詩を読むと、本当の大人になることの難しさと奥深さを教えられる。

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たまに新聞を読むのも面白い。流石、インターネットとは歴史の長さが違う重みである。こちらの詩も載せておきます。


●倚(よ)りかからず ※73歳の作品

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだ

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詩文はこちらのサイトから拝借致しました!

小春日和ほっとひと息
https://plaza.rakuten.co.jp/mars1012/8001/

文芸ジャンキーパラダイス
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/shisyu.html
あの人の人生を知ろう~
茨木のり子編より抜粋

“戦争への怒りを女性としてうたい上げた「私が一番きれいだったとき」は多くの教科書に掲載され、米国では反ベトナム戦争運動の中でフォーク歌手ピート・シーガーが『When I Was Most Beautiful』として曲をつけた。彼女の心の声が国境を越えて人の心を打ったのだ。人生を明るく、そして清々しくうたう茨木の詩は、没後も多くの人を魅了し、晩年の『倚りかからず』は詩集としては異例となる15万部のベストセラーになっている。エッセイ本も多数。 韓国語を学んで出した『韓国現代詩選』(1990)では読売文学賞を受賞している。

●わたしが一番きれいだったとき ※茨木さんは15歳で日米開戦を、19歳で終戦をむかえた。

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね ”

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平和な今日、
人々が美しく居られる年代を祝い
全ての皆さんに幸多き事を願います。