天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

懸念する価値はあるのか

沖縄県名護市辺野古の新基地建設の賛否を問う県民投票に参加しない方針の5市に対し、投票実施を求めてハンガーストライキを続けている”

という、ある一青年がいたのをご存知でしょうか?

民主主義のこの日本で、頭上を爆音で飛び回るアメリカ軍の基地を造るか造らないかの投票にある日参加出来ませんと言われてしまったら貴方はどう思いますか?

「あ、そうですか。お上が決めた事ですからそれも民意でしょう。」

と易々と思うのでしょうか。

私はこの一青年のハンストのニュースをヤフー上で読みましたが、何よりも違和感を感じたのはそのヤフーコメントの羅列です。

「ただの不法占拠」
「子供の我儘」
「元シールズの人だから」
「仕事もしないで」

余りにも酷すぎて書き切れない否定のコメントばかり。現政権を支持する気持ちが極端に強い人ばかりが書いたのか、偏向が行き過ぎて本当に不快になりました。
沖縄に対する古来からのヘイトをまざまざと感じた思いです。

沖縄の人たちは現在の日米安保条約を進化させ「平和条約にしよう!」と考えている人も多いと私は知っています。沖縄の凄惨で苛烈で悲しい戦争の歴史、米国による支配、米軍の駐留、それらによって本州で暮らす普通の人々よりずっと現実的で先進的な感覚で未来を見据えているのでしょう。いつになったら普通の人々はそれに追い付くのか?

私がここで懸念するのは、何も知らない若い人達がヤフーコメントのような極端に偏った意見を真似したり正しい事だと思ってしまう事です。私は常々考えていますが、現代社会では洪水の様な膨大な情報を瞬時に目にする事が出来ます。しかしその中から真実を読み解き、何が正しい事なのか見極めなくてはなりません。それにはどうしても歴史的事実が深く関わって来るのです。知らないならば自ら知ろうとしなければなりません。

先日このブログに載せた詩にもありました。

“もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある”

こんな詩は戦争を体験した世代じゃないと書けないんじゃないかとつくづく思うのです。

最初に戻りますが、ただの一青年がハンガーストライキしたところで何も覆らないでしょう。しかし、何もしないで普通の暮らしをしている人がそれを見て嘲笑するのは違うと思います。自分の腹が痛まないが故の無関心はその内自分の身にツケとして却って来るでしょう。沖縄の人々はそれを知っているはずです。

私は懸念しているのです。
まあ、無関心な普通の人々の事より真剣な沖縄の人々の事の方がよほど気になりますがね。