2022年3月3日現在、ロシアのウクライナ侵攻による犠牲に胸が痛むばかりである。
(以下2018年8月16日の記事を再録)
日本では終戦の日とされる一日が終わろうとしている。(そして書いている内に終わった。)
私が些細なことで悩んだりくよくよしている時に姫様に話しかけると決まって、
「笑っておくれ?」
と仰せになります。
「妾と話しがしたいのか?」
と微笑まれ、
私が納得するような優しいお言葉をかけて下さる。恐らく私の感情と思考全てを読まれていて共有されているのだろうと思います。
私はシャーマニズム型の統合失調症だと今では病識が有りますが、退院直後はまだ混乱していて精神障害者になった自分に深い悩みを抱えていました。このブログの初期にもよく分からない事を載せています。
とと、
私がここで申し上げたいのは天照大神である姫様(八条院暲子様であるらしい)の深い慈愛に満ちたお人柄と、これから先への提案です。
先の大戦に於いては、
人間が考えつく方法全てを用いて殺し合いをした、と言っても過言ではないでしょう。当時を生きていた訳ではありませんが、どのように正当化しようとしても人類は残虐非道の限りを尽くした…その一言だと私(姫巫女)は思います。しかし、それは今の平和な世だから言える事なのだと言うのも分かる。恐らく人間は己れが何なのかを知りたくて実験と称してありとあらゆる方法であのような殺し合いをしたのでしょう。全ての人間が産まれながらに孤独であるが故に?
人間が産まれながら孤独であったが故に戦争があり今の世の中があると?
私は人類は取り戻せない間違いをしたと思っているし、姫様と違って
「愛しているのだよ?」
などと優しく言えない。はっきり言って怒りや憤りに近い感情があるのみで、戦争の悲劇を可哀想だとは思う気持ちはあるが「なんで私が戦争の尻拭いを?」というのが正直なところである。
取り分け裕福でも無い、名誉や地位や報酬がある訳でも無い。そして金銭を崇める現代社会ではとても生き辛い。
しかし、姫様の仰せになるように
先の大戦の原因が「天照大神」であるならば、このような天命を授かった私など今を平穏に生きる、或いは生かされている事に感謝せねばなるまい。或いは過去に殺されていたかも知れぬ、そして決して未だに許してはもらえぬ、そのような宿命であろうか。
だからこそであろうか?
私の傍らには姫様がいつも居て、
「笑っておくれ?」
と励まされたりする。
「愛しているのだよ?」
と仰せになって、
私が冗談半分でふざけた思念を抱けば
「笑わせてはならぬ、ひめみこ。」
と目に涙を浮かべ仰せになる。
子供の頃、例の空き地で姫様を視た時姫様に、
「姫様には御子はお産まれになったのですか?」と質問したら
人差し指と人差し指の先をツンツンしながら下を向いて
「それが、その…」
と赤くなっていらして可愛らしいお姫様だなあ、と思った記憶がある。
今でこそインターネットがあるから一千年前のお姫様の事が調べられるけれど当時は本しか無かったのでどうする事も出来なかった。太陽の冠、朱色に金色の鳳凰の衣、足元にはポックリをお履きになり、何人かの巫女を控えさせた正体不明の豪奢なお姫様は
「そなたは今、
話しをせずに
妾と会話をしているが。
そのチカラが、
後に
そなたを救うであろう。」
と仰せになった。
そして私はわざと何もしなかったのだ。
私は夢をみる。
人間が己れを「愛」と認識する時を。
一個体の肉体に於いて孤独であろうとも、互いを「愛」と認識し、最早「憎しみ」の感情すら忘れてしまう事を。
それはまるで人類進化の可能性として産まれて来る、異なる染色体を持つ児等のように、
「憎しみ」を知らない、
「愛してる」
ただそれだけ、
「愛してる」
そのくりかえし、
その思考を言葉を使わず伝えられる、
そんな果てしない夢をみる。
あってはならぬ、
二度とあってはならぬのです。