天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

愛となりしや「地球最後の男サムソン」について

「地球最後の男 サムソン」
https://blogs.yahoo.co.jp/kindannoko/56491685.html

「地球最後の男 サムソン(2)」
https://blogs.yahoo.co.jp/kindannoko/56494735.html?type=folderlist

これは今から約2年前に書いたブログ記事になります。今回、Yahoo!ブログ終了に向けて準備をしている際に発掘した記事です。

私が姫様とサムソンのやり取りを自室で横たわったまま視ていたのは程なく入院となる頃の事でした。あの時は3日以上眠る事が出来ておらず、本当にまともな状態ではなかったのですが夢うつつに視る地球最後の一人サムソンは暗い夜の寒い世界でいつも独りぼっちでした。姫様は度々サムソンの前に現れ、「憐れでならぬ。妾は愛しているのだよ?」と優しく話しかけたりしていましたが、どうもサムソンの反応は良いものでなく何も感じない、何か脳に意図的にされたかの様な可哀想なものでした。

私はただ横たわっていただけですが、サムソンの姿が視える度に何とかしてこの男には死ぬまでに「愛」を想起して欲しいものだと思っていました。

姫様は夜空の星々を纏ってはサムソンの前に現れ、何回も「愛しているのだよ?」と仰せになっていました。サムソンは訝しんだり(いぶかしむ)、時には怒ったりしましたがその内、自分の事を悲しんで姫様を探すようになったのです。

私は、あのような先の大戦があった事、2発の核が堕ち取り返しのつかないくらいの人数が死んだ事を人生で初めて知った時、まず考えたのは「みんな成仏出来ていないだろう。」という事でした。そして、もしそうだとして万が一、自分が天照大神の姫巫女で、その成仏出来ていない膨大な数の御霊を成仏させようとする時にどうするか考えたのです。

姫様は私に度々教えて下さいました。「この世の全て、宇宙そのものが陰と陽の交錯(スパーク)であり、それによって生かされている」のだと。「人もまた肉体と魂がスパークする事によって生かされており、それを『愛』というのだ。」と。

私が空き地で雑誌を拾った時、姫様は分かりやすくCGの様な画像で私にそう説明されました。弧を描く光の曲線が相対して動いていく。これは絵空事ではなく神の為せるわざとでもいうのでしょうか?

再録2~核が堕ちて日本国に何が起きたのか(神社庁への手紙)
https://blogs.yahoo.co.jp/kindannoko/56413960.html

再録2~核が堕ちて日本国に何が起きたのか(続 改神社庁への手紙)
https://blogs.yahoo.co.jp/kindannoko/56423976.html


私は膨大な数の御霊を成仏させるには「愛」にするしかないと考えました。どうすれば無念によりこの世(靖国)に張り付いたままの御霊を「愛」に出来るのか?

サムソンに戻りましょう。
彼は脳に何かされたのか、「愛」ではなかった。このままでは、独りで自然死しても御霊は張り付いたままになるだろう。姫様は地球最後の一人まで、成仏させてやろうと現れて愛を与え結局サムソンは激しい情愛に目覚めて、姫様を押し倒したのですが、姫巫女の方に覆い被さり、事を為して(?)安らかに眠りました…。
確かそういう終わり方だったと思いますが、もう3年以上前の幻覚なので記憶もあやふやです。

どこまでが幻覚でどこまでが真剣な天照大神なのか分からないのですが、先の大戦靖国神社にぎゅうぎゅうにひしめき合って青く光って視えた膨大な数の御霊を成仏させるには、私はとにかく「何もしない」事を選びました。あえて無関心に普通に生きたのです。私がその時に同情の涙など流したり可哀想などと言ったら英霊は期待するでしょう。私にはその期待に応えられる知識も技能も無い。霊的な儀式とか、超能力の出し方とかもさっぱり分からないのですから、まず無関心を装い突き放す事にしたのです。漫画を読んでテレビでドリフを観て大爆笑したりしていました。普通に小中高へ進み、その内自分の身に無念のうちに亡くなった御母方の御霊が降ろされた事も忘れ、姫様のお姿も忘れ、ちょっとツイてない人生だと思いながらお気楽に普通に勤めていた時に、御母の魂が身体から離れ姫様が現れたのです。

私はその内、昔の事を思い出しました。あの無残な戦争、壮絶な死、核が堕ちた事、空き地で視た姫様、子を遺して亡くなった御母達との約束。

まだ、自分が何者か病識も全く無い頃です。私は青く光って視えた靖国神社を思い出しました。突き放して突き放して絶望させ、無関心にも忘れ去ってからもう20年以上が経った頃に私は絶叫しながら靖国神社へ駆けつけたのです。私は大体を思い出して、姫様と共鳴し、境内で泣き叫びながら倒れ膨大な数の御霊を初めて泣きながら抱きしめてやったのです。

「憐れでならぬ、」

「憐れでならぬのじゃ!!」

「あのようなことがあろうか!?」

「二度とあってはならぬ!!」

「あってはならぬ、」

と絶叫し、青い顔、鋭い眼で泣きながらこんなにも胸が潰れる様な痛みに姫様が悲しまれている事を深く思い、倒れ、腐った花束を賽銭箱へ叩きつけ、

私が認識してから20年以上突き放し、突き放し、

もはや怨念となりつつもあった御霊は、膨大な、畏怖の念すら感じたあの数の御霊は、

その時に、姫様の愛に慈悲の涙に、私の抱擁に果たして何を思ったであろうか?

「愛」となりしや。
「憎しみ」果てむとせむにや。

如何許りかせむとす

如何許りかせむとす

とて、天照大神の慈悲により、

愛となりて、

憎しみ果てむとせむにや。

如何許りかせむとす、
如何許りかせむとす…


あのようなむごいことがあろうか?(あのようなむごいことがあるわけがない。)

如何許りかせむとす(どのようにしたらあのようなむごいことがあるのか?)

あってはならぬ(有るまじきことである。)

二度とあってはならぬ(もはや、取り返しがつかないのではないか)

憎しみ果てむとせむにや(憎しみは捨てなさい)

愛となりしや(そなたらは愛なのですよ)

愛となりしや(愛なのですよ)