今日は、久しぶりに姫様とお話ししました。
姫様の御姿を常々、絵にしたためたいと思っている私なのですが、今夜感じた姫様の御姿はとても絵などでは表現出来ない、そのあまりの迫力と畏怖の念を感じさせられる凄まじいとも言える御表情でさすがの私も震えを感じました。
八条院暲子様として一千年以上前に実際におわした、当時としての美人と言うより、よほど現代的なお美しさを持つ御姿です。先の大戦による人類の過ちを深くお嘆きになり、あまりのむごい戦争に対する深い悲しみとあのような惨憺たる出来事が日本国に起こったという事実に対する壮絶な忿怒(ふんぬ)とそれを起こしてしまった我々をお許しにならせられる慈愛に満ちた表情を併せ持つ恐れ多い御姿でした。私は思わず平伏して拝みました。
姫様は、「全て妾の所為にすれば良い」と仰せになられましたし、
「姫巫女そなたは、妾じゃ。」
とも仰せになりましたので私はこうしてこのブログを書いているのです。
これは、可愛い平安時代のお姫様がちょっと出て来て忠告する、と言う安いマンガみたいな話ではなく、
「二度とあってはならぬ。」
といつも仰せになるお言葉は我々現代日本人に対する忠告のような、絶対的な御神託であります。
念の為に繰り返しますが、皇祖神であらせられます天照大神には、
「あのようなむごい事は、
二度とあってはならぬ。」
とこの場にて命令されているのです。
例えば、日本会議のような立派な方々が集まる場においても天照大神は絶対であろうかと思いますが、
しかし、果たして何人が心から天照大神に対して崇拝の念を純粋に持っているのか?
あの核戦争の惨憺たる光景を見た者、経験した者の心の内にある国家に対する姿勢は果たして純粋な愛国心のままであり得るのか?私は疑問に思うのです。
あのような光景を見てしまったら、経験してしまったら、全てを疑問に思うであろう。愛国の皮を被って自らの欲望に溺れ、己れの権力を振りかざし天照大神の意をないがしろにし、日本国を自らの意のままに操ろうとしてしまうのではないか?
天照大神は
「愛している。」
と仰せになるが、
決して生半可なお言葉ではなく、
翻って
「あのようなむごい事は、
二度とあってはならぬ。」
と命令されているのです。
だから、そのようにすれば良い。
そのようにしなければならぬ。
二度と、
二度と、
あのようなむごい事は起こしてはならぬ。
その時は、何か大事があっても私はただの精神障害者に過ぎぬからと言おうか?
私はこの場で全てカミングアウトした。それ以上の事は何も出来ないだろう。
yahoo!ブログは終了するが、またどこかで同じことを書くつもりではいるのだが。