今宵も向精神薬の副作用で眠ることが出来ない。こういう時は天照大神である姫様とお話ししたくなる。
『妾と話しがしたいのか?』
と申されて、色々お話しをした。
何故、私が姫巫女なのか?何故私に乗り移るのか?私は何者なのか?
まず、姫様はこう仰せになった。
『そなたは依代じゃ』
『由緒正しき血筋という事もあるが、物事には順序がある。妾はそなたを待っていた。』
『乗り移ったのは、御母を解放する為である。』
そして、こう仰せになった。
『もはや、二度と乗り移ることはあるまい。』
『好きにするが良い、姫巫女。』
私は齢46にして初めて自由に生きる事が出来るらしい。素直に嬉しかった。
しかし、これまでの依代としての記憶が生々しくて自分自身が怖いという気持ちもある。天照大神はもう乗り移ることは無いと仰せだが、何かのきっかけで私の負の感情が爆発して姫様とシンクロしたらまたトランスしてしまいかねない。私は空き地で見た姫様の表情を思い出した。慈愛に満ちた菩薩の表情と、憤怒のような修羅の表情を併せ持った姫様のお顔を思い出して、姫様が今もお怒りであるのか聞きたくなった。姫様は今も戦争している人間をお怒りですか?と。すると姫様は『こうじゃ姫巫女』と仰せになって、
『妾は怒っているのではなく、愛しているのじゃ。』
私はその御言葉を聞いて察した。
今のこの世の戦争は全て先の大戦からの歴史の続きであるという事実から、戦争をしようとする考え方も実際の殺し合い方も全て天照大神の所為にしてしまっているのだ、と。
おわかりいただけるだろうか?
『愛している』と仰せになる天照大神の所為にして人間は戦争を今もしているのだ。
これは大変な倒錯である。
確かに姫様は昔仰せになっていた、
『妾を祀っては殺し、祀っては殺しの繰り返しなのじゃ』と。
私は悲しくなった。
それこそが、全ての原因。
人間が神を理解していない証拠である。
私は姫様の依代としてこの大事を書き記しておかねばなるまい。
人間は愛されている事を理解しなければならいだろう。そして、自分の意思で生きていて自分の意思で殺し合いをしているつもりだろうが、そうではなく生かされている事を知らなければならないだろう。何者でもない、生かして下さる神の愛に唾して戦争をしている事を自覚しなければならない。
憎しみではない、人とは愛なのだとどうしたら伝えられるのか?
などと書いていたら夜が明けた。