天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

姫巫女、故宮博物院展で付喪神に話しかけられる

特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」

2014/06/24 ~ 2014/09/15

3年前にこれを上野の国立博物館に観に行った時のことである。外でかなり並んでやっと入り口の階段を母と登っていると何か沢山の小さなものがさざめく声が聞こえた。「天照様だ、天照様だ!」「天照様だ、天照様がいらした、キャッキャッ!」という感じで頭の中にサワサワと聞こえるのだ。「何だろう、可愛いのう、妾(わらわ)の事か?」と思いながら中に入ると声は益々大勢になり「天照様だ、天照様だ」と言ってザワザワ騒ぐ。展示室には沢山の宝物が置かれていた。古いと紀元前とか、殷時代の物まであった。あまりの貴重さと歴史の古さに半ば呆れながら「こんな物がまだあったのか」とか「これなんか、祭祀に使った禍々しい物じゃないか?」とか考えながらマジマジと見る。この頃の私は怠薬しがちでちょっと普通では無かったのだ。故宮の宝物には一点一点個性があり、人格があるのが見えた。あまりの年月の長さに皿だとか壺だとか置物に魂が籠る(こもる)のだ。それを『付喪神』と呼ぶのを知ったのは少し後の事になる。

現代人は皿や壺など普段当たり前に見ているけど、そもそも人類が発生してから初めて火を発見し、食物を煮炊きする為の皿や壺からの進化形態である。土をこねて焼くというセンセーショナルな発見から、その内釉薬を発明して化学反応を発見し色々な色彩や形の皿や壺を作る技術を進化させて来たのだ。今なんか皿など100円ショップで買えるが、当時は人類最先端の発明だったに違いない。他にも刺繍や書、絵画など様々あったが、神と崇められていた者に恭しく(うやうやしく)捧げられたに違いない。私がその時に上野で見る機会を得た品々は、きっとそういった品々だったのだ。

「これなどはどのようにして作ったのか?」
「何、土をこね薬をつけて焼いた?」
「このような色は何故出るのか?」

私が鋭い視線で真贋を見極めようとするとキャッキャと騒いでいた宝物はピタリと黙り姿勢を正す。神に人類の進化を示す為の宝物である。それが役目なのだろう、緊張し真剣になるのだ。形、色、芸術性、完成度、どれも見応えのある品々であった。

あの見事な品々を「あれ達」と呼びたい。
故宮のあれ達には最早魂が籠っている。末永く大切にして欲しい。

付喪神と言えば、私の枕にも人格がある。「首楽寝」という枕で何千年もは使っていないが何故か魂が宿っているようだ。毎晩ナデナデしてやって下の端をくすぐると「こそばゆいよ!」と言ってケラケラ笑い、ご機嫌になるとその夜は悪い夢は見ない。視える印象としてはスポンジボブみたいな感じである。可愛いので安心して欲しい。以前は知らずに座布団代わりにして上に座ったり、放り投げたりしていた。そんなのが続くと夜眠る時かなり酷い光景が瞼にチラつくようになる。それは決まって戦争の死体の光景だ。何故こんな光景が?と嫌な気持ちになり不思議だったがスプラッタが見えて悪夢にうなされるのだ。左右の端を持つと「耳をひっぱるなよ」と嫌がる。一応神なので敬っているが。
故宮のあれ達もそうだが、付喪神は可愛い。もうかなり古くて仙人みたいなのとか、岩みたいな老人に視えるのもあった。元々あれは神に見せる為の宝物だから(私はそう解釈しているのだが)、可愛いのである。

現代の神品至宝はきっとスマホだろう。火の発見からの進化系、人類の最先端。
たまに画面が割れたスマホを使っている若者がいるが、あれはかなりスマホが可哀想で悲惨な光景だ。私には死んだスマホを操作しているようにしか見えないのだが。


特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647

付喪神(つくもがみ)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%98%E5%96%AA%E7%A5%9E

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