天照大神の姫巫女〜9条と靖国と世界平和〜

天照大神である姫様とその媒体である素人巫女のブログ

何は無くとも愛していると


妾のみことば

書いて給れ?

こうじゃ、姫巫女

妾は

何はなくとも

愛してはいる

妾は

愛していると

書いて給れ?


こうじゃ姫巫女

愛しているという事は、

妾は

愛ゆえ

誠に

如何許りかせむとす

それゆえ

愛とは

愛とは

如何許りかせむとす、じゃ

"


姫様が仰せになる『如何許りかせむとす』とはどの様な意味だろう?と思ったら目には見えない者の返答があった。

如何許りかせむとす、とは姫様、
愛しているがゆえにどのようにしたらよいか?という事でございます。
と。



ゆえに妾は

愛しているのだよ?

どのようにかして

愛とは何か、を

知らしめたいものよのう。


"

天照大神は不変のアガペ(性的な意味を持たない)神の無償の愛を伝えて下さるが、受け止める側の人間にはなかなか伝わらないのかも知れない。下手をすると「この人自己陶酔してるよね。」とか「幻聴か。」とも言われかねない。だからいつまでも人間は不幸なのだろう。やはり憐れんで然るべしなのかも知れない。と、書くとかなり高飛車だろうか。

凡人の自己顕示欲?

私はまだ観て居ないのだが、かのジブリ作品、宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」という映画が現在公開されており、その主題歌を米津玄師氏が歌っているという事を今ふとしたきっかけで知りました。曲名は「地球儀」というタイトルでそれも今知ったのですが、その歌をYouTubeで聴きながら思ったのは「自分もいつかこんな風に他人を応援出来るような人間になりたいなあ。」という事と「いいやしかし、他人に失望して孤独な気持ちになるのはまだ何処かで他人に対して何かを期待するような気持ちが残っているからだろうか?」という思いでした。「まだまだ悟りはひらけんのう。」と心密かに思ってしまった。
また、最近倉庫の中から埃を被って出てきたのは私が10代の頃のスケッチブックで恐る恐る開いてみたら何だか恥ずかしいポエムが沢山書かれており、あまりにも恥ずかしくて読み返しもせず即捨ててしまったのだがチラッと目に入ったのは「人はひとりだ」とか「だから生きるのだろうか?」とかいう言葉でやはり昔から根暗で孤独な人間だったんだな、という事とそれが私という人間の土台なんだなと再確認した次第です。そして、30年経った今でも似たような事を考えてこうして文章にしているから笑える。そして、こうしてブログで全世界(?)に発表するのはやはり他人に認めて欲しいという凡人の自己顕示欲だろう。米津玄師さんの歌を聴いたら宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を観てみたくなりました。

【余談】
最近精神科の主治医に「ナウシカみたいですよね。」と突然言われた。反応に困ったのだが実を言うと子供の頃「風の谷のナウシカ」をTVで生まれて初めて観た時に確かに「これは自分だ」と感じて果たしてナウシカは最後死んでしまうのだろうか?と手に汗握りハラハラしながら観ていたのだが「踵が少し溶けるくらいか。」とホッとしたのだった。そして今、確かに王蟲に轢かれたりしたが生きてはいるのだった。

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いつもありがとうございます。

私の死に方そして生き方への気付き

この歳になってたまに自分の死に方は、と考える事がある。以前にも書いたのだが姫様が仰るにはまた何度目かのシャーマニズム現象で統合失調症の陽性症状に陥り精神病院で強烈な沈静薬を再び注射され私の中の最後の魂が身体から離れて死を迎えるらしい。姫様が私に憑依すると周囲も驚いてどの様にして良いか分からず、結局は精神病院行きになってしまうのだがこのパターンは前回7年位前に実際に起きた事である。その時はまだ2つの魂が私の身体の中にあった様なので私は残り1つの魂で現在生存している様である。信じ難い話しだが私はそう信じているのだ。確かにまたあんな悲惨な事が起きたら私は今度こそ耐え切れる自信が無い。恐らく身罷るに違いないだろう。姫様は悲しい哉「苦しみは無い」と仰っていたが、強烈な薬の作用で眠ったまま永遠に起きないとも言えなくもない。しかし、私にはその様な死に方は屈辱的で無念極まりない。それこそ怨念となって化けてこの世に出てしまうかも知れない。それは本心からご免被りたいのである。私にとっては姫様が恐ろしいのでは無くこの日本の現代社会が私に起こる「シャーマニズム」という現象に対して認識が無い事の方が恐ろしい。そしてあの強烈な薬を有無を言わせず無理矢理打ち込まれる事が恐ろしい。

「そんな死に方はしたくありません。」と姫様にお伝えしてどうにか違う死に方が出来ないかお願いしてもあまり聞いてはもらえなかった。「今にそうなるのじゃ。」と仰せになるばかり。果たしてそうなる運命なのだろうか?しかし、そうなると私のこれからの生き方というものが変わる気もする。何かに激しく動揺したり、気を荒立てて激昂したり何日も寝不足になって負の感情に流されると最後は姫様に救いを求めてしまってトランス状態に陥ってしまう。そうなると今度こそ多分アウトだろう。私の場合、下を向いてくよくよウジウジ生きるよりあっけらかんとのほほんと明るく楽しく生きて行く方が姫様には好ましい様だ。きっと姫様も御自分が私に乗り移る事で私が生き辛そうにしている事を哀れに思って下さっているのだろう。もしかしたら不甲斐ないのかも知れない。

あの明るさ、幼い頃に見たキラキラした光景をまた感じながら生きる事が今の自分には出来るのだろうか?

反応があると嬉しいです。
いつもありがとう。

誰もが平和を望む

前回の記事を書いてから少し間があきました。広島で行われたG7サミットに急遽ウクライナのゼレンスキー大統領が参加した事にはどの様な意味があったのか、少し気になったのでネットで掘り起こそうとしたのです。しかし、今日たまたまバイト先でウクライナの戦争の話題になりそちらの会話の記憶で頭がいっぱいであまり深く掘り下げてその内容を調べる事が出来ませんでした。

ロシアは何故あんな事をするんですかね?

ロシアは極寒の地ばかりでは無く、もっと豊かな黒海という海が欲しいんですよ。

ダムが破壊されて、どうやって生きれば…。

なんで、あんな…。

今も戦火に苦しんでいるウクライナの人々の事を思えば、同情して自分も苦しくなってくる。戦争は決して他人事では無い。日本だっていつ他国から干渉があるか、分かったものでは無い。大量殺戮兵器がある限り、造って売り買いする限り書面上の恒久平和なんて何の保証も無い。以前も書いたが今やそう言った戦争兵器に遣われるお金は史上最大となっているそうだ。(例えば、地上防衛システムの2020年の世界市場規模は485億6511万ドル、日本円で6兆7680億くらいだそう。)今年の日本の国家予算が114兆3812億円だから???時給で働く私にはもう理解が及ばない金額である。

しかし、どこの国でも一国の代表ともなればそんな金額なんて大した問題では無いのかも知れない。
だがしかし、もしその「兆」と言う大金がこの世を生きる生命ある者の為に遣われたらいかがであろうか?殺し合う事を目的として金を遣うのでは無く、人々を生かす事に「兆」が遣われたらと思えば理想論を唱えるばかりの自分の無力さが無念である。

私はこのブログでまるで綺麗事を並べ立てている様ではあるが、もし自分がウクライナ人であったなら、戦争もやむ無しと考えるかも知れない。最初に戻るが、広島に急遽やって来たゼレンスキー大統領はどの様な思いだったのだろう。広島の原爆死没者慰霊碑に首を垂れる画像を首相官邸のホームページで見たら泣けてきた。

天照大神を靖国に祀って欲しい!!

今、この真夜中に声を大にして叫びたいくらいである。私には無関係ではいられない問題である。多分、本当に叫ぶとまた精神病院行きになってしまうから、無言でここに記しておこう。
…。

姫様の御言葉を書いてみる。

それこそが絶対、

『愛している、
ただそれだけ

愛している、
ただそれだけで良いのです。』

このブログのタイトルも当初は「天照大神靖国に奉る為のブログ」だった。あれから何年も経ち私も色々あったが、あとどのくらいのプロセスがあって、どのくらいの時間がかかるのであろうか?
過去に自分で書いた言葉だが、物事には順序があり決して自分が先では無い。
分かっているのだが、出るのはため息ばかり也。

反響があると姫様も喜ばれます。
最近、ランキングに参加しています。

世界平和に近づくとご機嫌♪

広島ビジョンの記事を書いて、少し反響が感じられました。ありがとうございました。
記事の更新も気ままで時には悪態をついてしまう時もあるのですが、(私、口の悪い姫巫女はともかく)天照大神である姫様は不変のアガペでこの世界の生きとし生けるものを慈しんでおられます。

“このように申せ、姫巫女

愛するということは

妾ではなく

わがものと致す

そなたのおかげじゃ

妾は

慈しむか、

愛するか、しか出来ぬ。

妾は

有り難きことよ。

妾の言の葉を

申し上げてくれて

礼を申すぞ。

もったいないお言葉です、姫様。
あと、何かこのブログを訪れる人々にお伝えする御言葉はございますか?


このように申すがよい。

妾は、そなたらを

誠に

愛しているのだよ。

反響があると姫様も喜ばれます。
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広島ビジョン

私はたった今「広島ビジョン」なる文章を拝読しました。恐らく英語か何語かの直訳の様で読みづらいところもありましたが、ヒロシマで各国の首脳がこの様な決意表明をしたという事はとても意義がある事でしょう。

私はコロナ禍以前に広島の平和祈念公園を訪れた時の事を思い出しました。私に憑依する天照大神の存在を認識してからの事です。行く前からそわそわしておっかなかったのですが70年以上の時を経て、そこには静謐で整然とした空気が感じられました。そして、祈りの場に於いてそこに未だ燃えている原爆の残火を見て(そう、今も原爆の残火はヒロシマで燃えているという事実。)「過ちは繰り返しませぬから」と言う誓いの碑文を見て、オガタマの木のある供養塔に手を合わせました。そこにあったのは、被爆者の遺した遺品や衣服、焼けただれた品々、被爆者が描いた地獄絵図、遺された記録写真など。




私はあの原爆資料館の空気に漂うにおいを一生忘れないでしょう。
そして、核兵器が世界から無くなるまでの時間を刻む時計。

資料館の中には制服姿の修学旅行生も居て、私の耳に入ったのは「こんな事して、一体何が…?」と言う絶句の言葉でした。私はよほどその少年に「今ある、君たちの未来の平和の為だったのだよ。」と告げたかったのですが、私には彼らにそう易々と伝える事は出来なかった。答えを教えるのは簡単な事かも知れないが、その一言で納得出来る様な事だろうか?と、私もまたその場に於いてあまりの惨劇に絶句し立ち尽くしたからです。

同じ頃、長崎にも訪れた事がありました。
残念ながらあまり長居出来ず簡単に祈りと水を捧げただけではあったのですが、人類史上最大の悲劇と言っても過言では無い2発の核投下ーーー。私には言葉も無い。




しかし、岸田首相は世界で唯一とされる被爆国の日本の代表者として「広島ビジョン」を打ち出す事を実行した。これは、平和の架け橋となり得るだろうか?日本を出発点として世界平和が成し遂げられる兆しとなり得るだろうか?そうなれば、私は気が休まる。私が受けた過去の仕打ちも、人間の営みにキラキラを見た幼い私(姫巫女)が人知れず仕掛けた何もしないと言う愛(アガペ)の選択も、世界を存続した事も報われる。そう、報われるだろう。そして、私の人生の危機に於いて加護して下さる天照大神。姫様のお導き無くして今は無い。

これこそが絶対。

愛してる、そのくり返し

愛してる、ただそれだけ

愛してる、ただそれだけで良い。

徒然なるままに

何か書かなきゃなあ、とは思うのだがあまり書くような事は無い。日々が平穏であるからだろうか?とも思うがロシアやウクライナ、他にも目を覆いたくなる様な悲しいニュースが目に入るとあながち「日々平穏」などと言う気にはならない。

今も外では雨が降っているが、今年は季節が1か月早く訪れている気がして水瓶座の私が苦手な夏がその分長いんじゃないかと今から懸念している。

私の被害妄想かも知れないが、モヤッとするのでこの場を借りて独白してしまおう。
①ベビーカーの親子連れとすれ違う時に睨まれる事がある。
②道路で私の顔を見た爺さんは大抵唾を吐く。
③駅中の蕎麦屋に入ると急に混む。
だからなんだっつーの。

憲法記念日に寄せて

憲法9条改正を発案した安倍晋三自衛隊を軍隊にして日本を再び戦争出来る国にする、という改革はその祖父・岸信介の私怨に他ならないのでは無いか?
敗戦が色濃く残る時代の錯誤では無いのか?
令和の岸田政権はそれを引き継ぐ姿勢を見せているが、本当にその意味が分かっているのだろうか?
そうだ、何の為の民主主義?何の為の政治であるのか?

靖国に眠る英霊方の無念、如何ばかりか?

それは、再び戦争をする為では無い。

何故解らぬ?

妾から事の顛末を話しても良い位じゃ。

国民を護る事と言う事は、軍隊を持つと言う事であろうか?

何の為の政治であるのか?

何の為の大戦の犠牲であったのか。

今、再び改めて色々な事を考えたい所存である。


馬鹿がまた言ってる

と、悪態をつける大人になった。
そんな事も知らないの?
いや、あなたよりは物事を知ってるよ。
多分ね。
みんな、きらい。

いつから、こんな大人になったのか、
思い出せない。