こうして中年になった私は、時折小さかった姫巫女を思い出す。
「ひめみこ」とは、天照大神がそう私をお呼びになる呼称なのだが、シャーマニズム型統合失調症の陽性反応で姫様が我が身に憑依され精神科へ連れて行かれた時にその様子を周囲に嘲笑されるという人生最大の屈辱を受けた今では、心が深く傷ついた為かあんなキラキラした感情を持つという術を私はもう知らない。
可哀想な、あの時の小さな姫巫女の想い。
全て、戦争があったから今が存在している。
その衝撃。
小さな姫巫女は、この世に子を遺して焼け死んだ御母の愛に心を動かされこの世を存続する事を選びました。
その時、確かに小さかった私は見たのです。
この世に存在する「キラキラ」を。
例えば、優しい両親から受けた無償の愛や授業中に欠伸が出来る事、子供達が飢えも知らず笑って学校に通える事や、希望の歌をみんなで歌える事、当たり前みたいに出る綺麗な水、誰かの為の高いビルやそれを創った人々の汗と涙と努力。特に、高度経済成長期の巨大な建造物は小さな姫巫女を圧倒させました。
そして、そのような人々の何でもない平和な日常の中に私は大切な何かを感じたのです。
表現するなら「キラキラ」したもの。
“キラキラ、綺麗かも。”
“アメリカの戦艦に飛行機でぶつかって行った男の子達は、やったんだ本当に。”
“私にも出来るかな?この世を存続すること、この先自分はどうなるのかな?”
“でも、男の子達は戦艦にぶつかったんだから、私もやらなきゃいけないよね。だって、男の子だから戦艦にぶつからなきゃいけないって言うなら女の子の私もそれくらいしなきゃいけないって、事だよね。”
“そうして、その後にみんな分かってくれるかなぁ?妾が見た「キラキラ」。”
“なんで、この世を存続したのか分かってくれるかなぁ?”
“今からでも、自分がドブに流されて死ねば存続しないんだろうしなあ。”
♪手のひらを太陽に透かしてみれば、真っ赤に流れる僕の血潮
そんな歌が頭に流れて、自分の手のひらを太陽に向けてみた。小さな手のひらだった。
“あの特攻隊の男の子達の身体が、戦艦にぶつかる用だったなら、妾もだ。”
“妾の身体は、多分その為のものなんだ。”
“これ、は、それ、用。”
そんな事を考えながら、私は帰宅しました。
しかし、その時の女の子はもう居ない。前述の精神病院でかなりキツイ薬を打たれて、その悔しさのあまり自分の足で隔離病棟まで歩きベッドに横たわり意識を失い、薬から覚めて目が開いた時に何かが口から、ポッと出て行ってしまった。
“ひめみこが、死んだ。”
姫様の痛切なお声が頭に聞こえました。幻聴と言うのだそうです。
魂は3つ身体の中にある、とその後何かで目に致しました。私はもう、あんなに純粋に毎日の生活の中にキラキラを感じる事はありませんが、時折、樹木の枝葉が優しい風に揺れる穏やかな木漏れ日を見れば小さかった姫巫女の決意と、太陽に透かした小さな手のひらを思い出すのです。