今から25年も前になるだろうか?
作品の内容はもうあまり覚えていない。私がまだ10代の頃新宿の書店でその文庫漫画を手に取ったのは確かにある理由からだった。
坂口尚「石の花」
(Wikipediaより)
その漫画の主人公の少年の名前は「クリロ」という。日本語で「翼」という意味だったと記憶している。翼、そして「ナチス」の文字。
どうやら私が漫画としてはあまり好きではない戦争の話しで、ユーゴスラビアとかパルチザンなど自分が未だ知らない事が描かれているようだ。少年のこちらを見る意志の強そうな瞳、軍服と黒髪。理由はただそれだけだった。軽い気持ちで全巻手にして帰ったのである。
「クリロ、ふーん。翼、ね。」
夜型生活の私は夜中にその漫画を読んでいた。ユーゴスラビアの美しい村がある日突然、軍隊の戦車で破壊され人々が収容所へ送られる。ヒロインのフィーもその一人になってしまう。主人公クリロは命からがら逃げ延びてパルチザン部隊として生き抜く事になる。
私は読み進めながら戦争の悲惨さ、世界の不条理、儚い人間の宿命や業に対するやるせなさを感じていた。一読では理解出来ていなかったが、こと戦争の悲惨さについては納得がいかず「なぜこんな事が」と無意識に考えていた。しかし、史実を元にしているとはいえあくまで漫画であって、当時は平成の日本でほのぼのと生きていた自分とは遠い話しであると感じていた。
私は静かな気持ちだった。平静だった。深夜の自室もまたしんと静まり返っていた。
過酷なパルチザン(槍という意味)の行軍。作品は深淵を突いていて登場人物達の苦悩や葛藤、悲劇的な運命を理解するには10代の私にはまだ早かったが、情に訴えるという作風ではなく泣きながら読む感じではなかった。
しかし、である。
パルチザンの仲間であった一人の老人が行軍の途中(だったと思うが)交戦でだったか、行き倒れたか最早記憶に無いのだが、亡くなる場面だった。若いクリロ達に「歌をうたえ」と言うのである。クリロ達は歌うのだが、老人はその歌を聴きながら、「そうだ、それで良い。」「行け」と言って確か亡くなるのだ。
若かった私はその死に方にいたく驚いた。
「えーっ、こんな死に方ってある?」
素直な感想だった。
「命掛けで戦争で戦って、追われるように荒野を行軍して歌を歌ってお終い?」
そんなひどい話があるだろうか?
日本人の私が思い浮かべる死に方といえば、畳に布団を敷き家族に囲まれて長寿を全うし穏やかに息を引き取る形であり、撃たれたか行き倒れたか、しかも荒野の真ん中で若者が歌ってお終いなんて納得がいかなかった。何回考えても、
「えーっ、歌を歌ってお終い?」
という気持ちになり、
「それ、本当に人の死に方なの?」
「なんでそんな死に方なの?」
という疑問しか思い浮かばなかった。
と、その時である。
私は夜中にもかかわらず突然号泣し始めたのだ。思いがけず自分の感情のネジが壊れてしまった感覚であった。
本当に胸をかきむしり嗚咽を漏らして滂沱しうつ伏せに突っ伏してもんどりうっていた。
「な、なんだ、なんだ??自分?」とは思ったが、涙が堰を切ったように溢れて今にも叫ぶんじゃないかと思う程の慟哭であった。夜中なので、叫ぶ訳にいかず呻いて嗚咽を漏らして泣いていた。「自分、どうしちゃったんだろう。」息も出来ず涙と鼻水とよだれで、呼吸困難に陥り「このままだと死ぬ!死ぬから、落ち着け!」と自分で自分の感情のコントロールに努め、胸をかきむしりながら酸素を確保しようと泣きながら必死にあがいていた。30分くらい苦しんだであろうか?
「可哀想に、戦争だからこんな風に人が死ぬんだ。」
と自分を落ち着かせ、本当にハアハアと肩で息をしながらまだ感情は高ぶっていた。
苦しかった。
今思うと私はその頃自分が何者かなどとっくに忘れていたのだ。
新宿の書店であの漫画を見て、クリロ(翼)を知り、ナチス、戦争、軍服、少年、翼、飛行機…。
この出来の悪い頭でも片隅に覚えていたのに違い無い、
子供の頃に見た戦争の幽霊を。
あの時まだ小さかった私に敬礼していた特攻隊の少年を。
今なら分かるのだ。
あの時の号泣、滂沱の苦しみ、
少年のあるまじき死…。
無念如何許りか、
如何許りかせむとす。
如何許りか、
せむ。